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大正時代のファッション!モボ・モガの流行から見た、西洋文化の影響とは?和洋折衷の美学!!

大正時代のファッション!モボ・モガの流行から見た、西洋文化の影響とは?和洋折衷の美学!!
📘 この記事で分かる事!

💡 大正時代のモボ・モガが、西洋文化をどのように取り入れたのか

💡 モボ・モガのファッションが、現代のファッションに与えた影響

💡 大正時代の社会背景と、ファッションの変化の関係性

それでは、第一章、大正時代の西洋文化の影響について見ていきましょう。

大正時代:西洋文化がもたらした変革

はい、それでは、大正時代が舞台の第一章に入っていきます。

🔖 関連記事の要約!モボとモガ
モボとモガ

✅ 大正時代の女性は「モガ」と呼ばれ、西洋文化を取り入れたファッションを楽しむようになり、クロッシェ帽、ショートボブやフィンガーウェイブ、耳隠しヘアスタイルなどが流行しました。

✅ モガの流行は、女性の社会進出が進み、タイピストやデパート店員など新しい仕事が増えたことと関連し、大正デモクラシーと呼ばれる時代背景の中で、女性が自由とお金を手に入れて人生を謳歌し始めたことを反映しています。

✅ 大正後期には、関東大震災後の復興で新しい街が生まれ、その活気の中で、モダンボーイ(モボ)と呼ばれる西洋風の服装をした男性も現れ、山高帽子、丸眼鏡、セーラーズボンなどが特徴的でした。

さらに読む ⇒野菊のかんざし野菊のかんざし出典/画像元: https://windearthsun.com/?page_id=5032

まさに、時代の変化がファッションに如実に表れているんですね。

大正時代は、明治と昭和に挟まれた1912年から1926年までのわずか14年間続く、激動の時代でした。この時代は、西洋文化が日本に急速に流入し、人々の生活様式や価値観を大きく変えました。特に服装においては、伝統的な和装から洋服へと変化が顕著に見られ、モダンボーイやモダンガールと呼ばれる若者たちは、西洋風ファッションを積極的に取り入れ、新しい時代の到来を象徴しました。

そうですね、大正時代は、西洋文化が日本に本格的に導入された時代で、ファッションも大きく変化しました。

いや~、ホンマに、時代は変わりますなぁ。昔は着物一択やったのに、今は洋服も当たり前やもんなぁ。

昔のファッション、新鮮で面白いです!

ファッションの変容:和装から洋装へ

では、第二章では、ファッションの変容について詳しく見ていきましょう。

🔖 関連記事の要約!モボ・モガがいた時代のこと
モボ・モガがいた時代のこと

✅ 「モボ・モガ」は、大正時代から昭和初期に流行した、西洋文化を取り入れた若者たちのことを指す。

✅ 彼らは洋服やメイクなど、現代に通じるスタイルをいち早く取り入れ、新しいライフスタイルを確立した。

✅ モボ・モガは、戦争など混沌とした時代の中、自分たちの生き方を新しい形で選び始めた若者たちのスピリットを象徴している。

さらに読む ⇒花里庵オンラインストア花里庵オンラインストア出典/画像元: https://wabana.jp/blogs/japanese-culture-story/modernboygirl

モボ・モガのファッションは、現代のファッションにも通じる部分があるんですね。

男性の服装は、着物からスーツ、吊りバンド、ネクタイなどが流行し、学生の学ランも、大正時代に警察官の服装から変化したものです。髪型も七三分けにポマードや椿油で固めたスタイルが流行しました。女性は、着物も着崩したり、派手な柄のものを着たりするようになり、洋服も積極的に取り入れられました。貴族の使用人の服装であるメイド服も、大正時代から取り入れられました。洋服を着こなす若い世代の男女を、モダンボーイ、モダンガールと呼びました。彼らは、洋服だけでなく、髪型やアクセサリーにも気を使い、新しい時代のファッションを楽しんでいました。

はい、大正時代のファッションは、和装から洋装への移行期であり、現代のファッションにも大きな影響を与えています。

モボ・モガって、なんか、おしゃれで自由なイメージやなぁ。

メイド服も大正時代からあったんですね!

和洋折衷の美学:伝統と革新の融合

第三章では、和洋折衷の美学についてお話します。

🔖 関連記事の要約!大正時代の服装を着物デザイナーがチェック!イケてる大正ファッションを大喜利
大正時代の服装を着物デザイナーがチェック!イケてる大正ファッションを大喜利

✅ 大正時代のファッションは、女性が社会進出し始めたことや、西洋文化の影響を受け、モダンで和洋折衷なスタイルが主流となりました。スカート丈はひざ下、ワンピースに帽子を組み合わせたり、ボブヘアやルージュなど、現代でも見られる要素も多く見られます。

✅ 大正時代のファッションは、モダンガールやモダンボーイと呼ばれる、新しい文化を受け入れ、自由なスタイルを楽しむ人々が現れ、西洋の影響を受けた洋装が流行しました。女性は動きやすく、洋装を取り入れたスタイルを好んでおり、男性はスーツや帽子、ステッキなどをファッションアイテムとして取り入れていました。

✅ 着物デザイナーの視点から、大正時代のファッションスナップを紹介し、現代のファッションと比較しています。キャリアウーマン、原宿ガールズ、ハイカラさんなど、現代でも見られるようなスタイルを見ることができ、当時の人々のファッションに対する意識や流行を垣間見ることができます。

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当時のデザイナーの視点から見たファッションスナップは、現代の私たちにも参考になるものが多いですね。

大正時代のファッションは、西洋文化の影響を受けながらも、日本の伝統的な文化と融合した「和洋折衷」のスタイルが特徴です。女性は、着物に洋風の帽子や靴を組み合わせたり、洋服の上から羽織を着たりするなど、独自のスタイルを生み出しました。特に、モダンガールは、クロッシェ帽、ショートドレス、パンプス、ボブカットなど、西洋の流行を取り入れながらも、和のテイストをミックスしたファッションを楽しんでいました。

大正時代のファッションは、西洋文化を取り入れながらも、日本の伝統的な文化を融合させた和洋折衷のスタイルが特徴です。

和洋折衷って、なんか、オシャレやなぁ。

大正時代のファッションって、現代でも通用するようなデザインが多いんですね!

激動の時代:大戦と社会変革

第四章では、激動の時代、大戦と社会変革についてお話します。

🔖 関連記事の要約!米騒動と大正デモクラシー(2)大衆騒擾と友愛会

公開日:2021/01/25

米騒動と大正デモクラシー(2)大衆騒擾と友愛会

✅ 米騒動以前の大衆騒擾の時代は、日比谷焼き打ち事件から始まり、ポーツマス条約反対運動など、様々な政治・経済・外交問題が引き金となり、都市住民のエネルギーが爆発した時代でした。

✅ 大衆騒擾の構造は、指導者上層部、サブリーダー、地元運動家、積極的参加者、消極的参加者、傍観者・偶発的参加者といった多様な参加層から成り立っており、当時の都市中間層や下層の人びとが中心であったと考えられています。

✅ 大衆騒擾の底流には、公平と公益を尊重すべきという考え、行動・集会・言論の自由の尊重への要求、国民の意思を尊重してもらいたいという願い、そして、国民主権が実現されていない現状への不満など、民衆主義的国家主義ともいえる政治意識が存在していました。

さらに読む ⇒ 日本近現代史のWEB講座 日本近現代史のWEB講座出典/画像元: http://jugyo-jh.com/nihonsi/%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E8%AC%9B%E5%BA%A7/%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95%E3%81%A8%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC1%E3%80%8C%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%80%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%95%B0%E8%AD%B0%E7%94%B3%E3%81%97%E7%AB%8B/%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95%E3%81%A8%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC2%E5%A4%A7%E8%A1%86%E9%A8%92%E6%93%BE%E3%81%A8%E5%8F%8B%E6%84%9B%E4%BC%9A/

米騒動は、当時の社会状況を表す象徴的な出来事だったんですね。

大正時代は、第一次世界大戦の影響を強く受けました。戦争特需による経済発展は、都市化を加速させ、新しい産業が生まれました。一方で、物価高騰や社会格差の拡大も深刻化し、民衆の不満が高まりました。1918年の米騒動は、その象徴的な出来事であり、民衆の怒りが爆発した結果、政党内閣への道が開かれました。また、大戦後の欧米の民主主義思想の影響を受け、日本では「大正デモクラシー」と呼ばれる民主化運動が活発化しました。

大正時代は、第一次世界大戦や米騒動などの社会変革期であり、ファッションも時代の流れと共に変化しました。

米騒動、ホンマに大変やったんやなぁ。

当時の社会状況が、ファッションにも表れていたんですね。

民主主義への志向:女性の社会進出と政治改革

第五章では、民主主義への志向と女性の社会進出についてご紹介します。

🔖 関連記事の要約!男女平等の実現めざして➃女性解放=平塚らいてふ中心に市川房枝・山川菊栄など – 憲法とたたかいのblog

公開日:2020/09/28

男女平等の実現めざして➃女性解放=平塚らいてふ中心に市川房枝・山川菊栄など – 憲法とたたかいのblog

✅ この記事は、日本の男女平等運動を牽引した女性たち、特に平塚らいてう、市川房枝、与謝野晶子、山川菊栄らに焦点を当て、彼女たちの活動と功績を紹介しています。

✅ 記事では、彼女たちの女性解放運動、特に女性の参政権獲得に向けた取り組みや、戦時中の戦争協力、戦後の反戦平和運動などが詳しく記述されています。

✅ さらに、記事は、戦後の日本の男女共同参画社会の形成過程における女性たちの役割、そして、女性の社会進出における障壁である「ガラスの天井」についても触れ、現代でも続く課題を浮き彫りにしています。

さらに読む ⇒憲法とたたかいのblog憲法とたたかいのblog出典/画像元: https://blog456142164.wordpress.com/2018/12/12/%E7%94%B7%E5%A5%B3%E5%B9%B3%E7%AD%89%E3%81%AE%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%97%E3%81%A6%E2%9D%B9%E5%A5%B3%E6%80%A7%E8%A7%A3%E6%94%BE%EF%BC%9D%E5%B9%B3%E5%A1%9A%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%A6-2/

女性解放運動の歴史は、現代の私たちにも重要な教訓を与えてくれると思います。

大正デモクラシーは、女性の権利向上や労働運動など、様々な社会運動を促進し、女性の社会進出を加速させました。平塚らいてうや市毛房枝などの女性運動家は、女性の参政権や教育の機会を求め、社会に大きな影響を与えました。1925年には普通選挙法が成立し、男子の有権者が大幅に増加しました。これは、民衆の政治参加を促進し、日本社会の民主化を大きく前進させた出来事でした。

大正時代は、女性の参政権獲得や社会進出など、女性の社会的地位向上のための運動が活発化した時代でした。

女性の社会進出、ホンマに大変やったんやなぁ。

女性解放運動は、今も重要なテーマだと思います。

以上、大正時代のファッションについてお話しました。

🚩 結論!

💡 大正時代のモボ・モガは、西洋文化を取り入れたファッションを楽しむ若者たちだった

💡 当時のファッションは、和装と洋装が融合した和洋折衷のスタイルが特徴的だった

💡 大正時代のファッションは、現代のファッションにも影響を与えている