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ロシアとウクライナ侵攻?ジョージア紛争から読み解く情報戦とジャーナリズムの役割とは?ジョージア紛争、プーチンの台頭、情報戦、そしてウクライナ戦争の現在地

91年のソ連崩壊後、ジョージア紛争、そしてウクライナ侵攻へ。著者は空爆下のトビリシでロシアの侵攻を目の当たりにし、情報戦の激化を痛感。プーチン大統領による国民統合と、SNSを通じた真実の伝達、そして国際世論を揺るがす情報工作の実態を明かす。戦争の長期化と報道の課題にも迫る。

ロシアとウクライナ侵攻?ジョージア紛争から読み解く情報戦とジャーナリズムの役割とは?ジョージア紛争、プーチンの台頭、情報戦、そしてウクライナ戦争の現在地

📘 この記事で分かる事!

💡 2008年のジョージア紛争は、ロシアの軍事介入と、その後のウクライナ侵攻への布石となった。

💡 プーチン大統領の台頭とロシア国民のアイデンティティの変化が、現在の対立の背景にある。

💡 インターネットを通じた情報戦が激化しており、真実を伝えるための取り組みが重要。

それでは、まず最初のテーマであるジョージア紛争について、詳しく見ていきましょう。

ソ連崩壊後のロシアとジョージア紛争:侵攻への道筋

ジョージア紛争、何がウクライナ侵攻を予見させた?

ロシアの自国民保護を口実とした軍事介入。

2008年のジョージア紛争は、ソ連崩壊後のロシアの勢力圏拡大と、親欧米勢力への対立の象徴です。

年前にも、意に沿わない国をねじ伏せたジョージア侵攻でプーチン氏が学んだこと:朝日新聞+

公開日:2022/08/17

年前にも、意に沿わない国をねじ伏せたジョージア侵攻でプーチン氏が学んだこと:朝日新聞+

✅ 2008年8月に発生したジョージア紛争は、親欧米路線を進むジョージアに対し、ロシアが分離独立派を支援し、軍事介入したことによって勃発した。

✅ 紛争では、ロシア軍がジョージアの首都トビリシ近郊やゴリなどを空爆し、地上侵攻も行った。ロシアは南オセチアとアブハジアを「独立国」として承認し、NATOの拡大に対する不満を露わにした。

✅ NATOはジョージアとウクライナの加盟候補国化を見送ったが、プーチン大統領はこれを「ロシアの安全保障侵害」と非難した。ロシアは紛争の理由として「自国民の保護」を掲げた。

さらに読む ⇒朝日新聞+:世界のいまを伝えるウェブメディア出典/画像元: https://globe.asahi.com/article/14696068

紛争の背景には、ロシアの「自国民保護」という口実と、NATO拡大への警戒心があります。

国際社会の対応や、その後の展開にも注目です。

1991年のソ連崩壊後、ロシアは旧ソ連圏への影響力を維持しようと試み、特に親欧米路線を歩むジョージアに対して圧力を強めました。

2008年8月には、南オセチアを巡る紛争が勃発し、ロシア軍がジョージアに侵攻。

筆者は当時ローマ支局長として空爆下でトビリシに入り、地上侵攻に遭遇しました。

ロシア軍はトビリシ近郊まで迫り、ゴリを占領。

停戦後も「緩衝地帯」を宣言して駐留し、南オセチアとアブハジアを「独立国」として承認するなど、旧ソ連国への干渉を強めました。

このジョージア紛争は、ロシアが「自国民保護」を口実に軍事介入を行う姿勢を明確にしたものであり、後のウクライナ侵攻を予見させるものでした

NATOは、ジョージアとウクライナを「加盟候補国」としましたが、NATO拡大を「ロシアの利益が無視されている」と非難するプーチン大統領の姿勢は、後のウクライナ侵攻に繋がる論理へと繋がっていきます。

ジョージア紛争は、現代の国際政治における力関係と情報戦の重要性を示す、非常に重要な出来事ですね。ロシアの行動は、国際法上、正当化されるものではありませんが、その背景にある地政学的な思惑や、情報操作の巧妙さには、深い考察が必要です。

ロシア国民のアイデンティティとプーチンの台頭

プーチンはなぜ国民をまとめ、独裁体制を築いた?

強い大国という歴史ストーリーでアイデンティティを構築。

プーチン大統領の台頭と、ロシア国民のアイデンティティの変化は、現代史を理解する上で不可欠です。

最高権力者として年、プーチン氏はロシアの「面倒をしっかり見た」のか?ロシア編集長

公開日:2024/12/30

最高権力者として年、プーチン氏はロシアの「面倒をしっかり見た」のか?ロシア編集長

✅ 1999年12月31日、ボリス・エリツィン大統領が辞任し、ウラジーミル・プーチン氏に大統領権限を譲渡した。

✅ プーチン大統領はウクライナ侵攻を開始し、ウクライナとロシアに甚大な被害をもたらし、国際社会からの制裁を受けている。

✅ 元NATO事務総長は、プーチン大統領は過去と現在で異なると指摘し、ロシアの野心とソ連崩壊後の自尊心の喪失が、現在の対立の背景にあると分析している。

さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.bbc.com/japanese/articles/cvgrz4ypl97o

ソ連崩壊後の混乱期を経て、プーチン大統領は「強いロシア」を演出し、国民の支持を得ました。

しかし、その過程で失われたものも少なくありません。

ソ連崩壊後、エリツィン政権下で民主主義が勝利したかに見えましたが、ロシア国民のアイデンティティは曖昧であり、プーチン大統領は「強い大国」の歴史ストーリーを掲げ、国民をまとめました

その過程で権力へのチェック機能は失われ、反対派は排除され、プーチン大統領は圧倒的な国民支持率を維持しました。

著者自身は当時、自由と民主主義の勝利を信じていましたが、ロシアが異なる道を歩む可能性を見過ごしていたと振り返っています。

いやー、ほんまに興味深い話やわ!プーチンさんも、最初は民主主義的な顔を見せてたんやけどね。国民のアイデンティティが揺らいでる時に、強いリーダーシップでまとめるってのは、ある意味、手腕やけど、その先に何があるのか、よーう考えていかんとあきませんな!

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ロシアのウクライナ侵攻、情報戦の最前線!SNSを駆使した真実の拡散、そして巧妙な情報操作の実態を暴く。国際世論への影響も。