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東京大空襲の記憶を未来へ:早乙女勝元さんの証言と証言ビデオ公開への道は?早乙女勝元さんと東京大空襲を語る

東京大空襲の悲劇を伝える、貴重な証言。12歳で被災した早乙女勝元さんの壮絶な体験と、未公開の証言ビデオが語る真実。火の海と化した東京、犠牲者の無念、そして戦争の残酷さ。過去を繰り返さないために、今こそ歴史を学び、平和への道を探る。東京都に眠る証言ビデオの公開を求め、未来へ語り継ぐべき教訓。

東京大空襲の記憶を未来へ:早乙女勝元さんの証言と証言ビデオ公開への道は?早乙女勝元さんと東京大空襲を語る

📘 この記事で分かる事!

💡 東京大空襲を体験した早乙女勝元さんの生涯と、その証言活動を追います。

💡 東京都が記録した戦争体験者の証言ビデオの現状と、公開に向けた動きについて解説します。

💡 戦争体験を語り継ぐことの重要性と、未来へのメッセージについて考えます。

それでは、この記事を通して、東京大空襲の記憶を未来へ繋ぐために何が必要なのか、考えていきましょう。

12歳の少年の体験:東京大空襲と戦後

東京大空襲、早乙女さんは何を経験した?

火の海、生き延びる闘い

早乙女勝元さんの人生と、戦争体験を語り継ぐ活動について、深く掘り下げていきます。

早乙女勝元さん、東京大空襲の記録と継承に尽くした年の生涯

公開日:2022/06/10

早乙女勝元さん、東京大空襲の記録と継承に尽くした年の生涯

✅ 東京大空襲の体験者であり、作家である早乙女勝元さんが90歳で亡くなりました。

✅ 早乙女さんは、東京大空襲を記録する会の設立に尽力し、東京大空襲・戦災資料センターの初代館長として17年間務め、戦争の惨禍を次世代に伝える活動をしていました。

✅ 早乙女さんは、子どもたちへの語りかけ、映像などの展示、米軍兵士との交流を通して、戦争の記憶を語り継ぎ、朝鮮人の空襲被害にも光を当てていました。

さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20220511/k00/00m/040/380000c

早乙女勝元さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

12歳で東京大空襲を経験された早乙女さんが、その記憶を次世代に伝えようと尽力された姿は、本当に尊いですね。

1945年3月10日、12歳の早乙女勝元さんは東京大空襲を経験しました。

約10万人が亡くなったその惨状を目の当たりにした早乙女さんは、家族とともに東京に残り、その後100回以上の空襲を経験しました。

大空襲当日は、火の海の中を必死に逃げ惑い、生き延びるため防火用水で体を冷やし続けたといいます。

当時の状況を振り返り、早乙女さんは国民が天皇を中心とした神風信仰を強いられ、「聖戦」であると信じ込まされていたことを語ります。

東京大空襲は、深夜に超低空飛行で大量の焼夷弾が投下された点がこれまでの空襲と大きく異なっていました。

そのため、隅田川周辺の下町地区は壊滅的な被害を受けました。

早乙女さんは、東京大空襲が当時の日本の政治体制と深く結びついていたことを指摘し、民間人が「民草」として軽視され、戦後の政治でも被害者に対する補償は全く行われなかった一方で、加害者であるアメリカ軍の指揮官には勲章が贈られました

さらに、戦争が終わって間もない時期に、下山事件、三鷹事件、帝銀事件など、奇妙な事件が相次いで起こったこと、そして朝鮮戦争が勃発したことを挙げ、日本が再び戦争に向かいつつあるのではないかと懸念しています。

過去を繰り返さないために、早乙女さんは戦争体験を語り継ぐことの重要性を訴えています。

早乙女勝元さんのご逝去は、非常に残念です。戦争の記憶を語り継ぐ人が減っていく中で、その功績は非常に大きい。彼の活動は、私たちに平和の大切さを改めて認識させてくれますね。

忘れられた証言:公開されない東京大空襲の記録

東京大空襲の証言ビデオ、なぜ4半世紀も公開されず?

財政難で平和祈念館建設凍結

東京都が作成した証言ビデオの現状と、公開への動きを見ていきましょう。

封印が解かれた東京大空襲の証言ビデオ、東京都が初公開生死の境をさまよった生々しい経験が語られた:東京新聞デジタル
封印が解かれた東京大空襲の証言ビデオ、東京都が初公開生死の境をさまよった生々しい経験が語られた:東京新聞デジタル

✅ 東京都が1990年代に収録した戦争体験者の証言ビデオが、30年近く非公開の後、公開されることになりました。

✅ 公開されたビデオは、東京大空襲、山の手空襲、捕虜や疎開体験など、34人の証言者が1人10分程度で語った内容です。

✅ 東京都は今後、公開に同意を得られていない残りの証言者の意向確認を行いながら、証言ビデオの活用方法を模索していく方針です。

さらに読む ⇒東京新聞出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/312061

約300人もの証言が記録されたビデオが、長年公開されなかったというのは驚きです。

貴重な記録が埋もれてしまうのは、非常に残念ですね。

公開を求める声がもっと大きくなることを願います。

東京都は、1945年3月10日の東京大空襲など戦争体験を記録するため、約300人の体験者の証言を収録したビデオテープを作成しました。

しかし、このビデオテープは4半世紀以上公開されず、倉庫で眠ったままです。

記事では、ビデオの収録に応じた越部恵美子さん(82)の証言を紹介しています。

越部さんは、空襲当日の惨状を克明に語り、特に隅田川に架かる清洲橋付近での体験は、焼夷弾が炸裂し、逃げ惑う人々の姿、そして遺体で溢れるプールなど、生々しい描写で語られています。

証言ビデオは、当初は「東京都平和祈念館」で公開される予定でしたが、財政難などを理由に建設が凍結されました

現在、ビデオは東京都庭園美術館の倉庫に保管された状態で、公開は限定的です。

記事では、証言ビデオの公開を訴え、東京都や都議会に公開に向けた対策を早急に講じるよう求めています。

ほんま、なんでこんな貴重なもんが倉庫で眠っとるんや!公開せなあかんやろ!税金使って作ったんなら、みんなに見せるのが当然や!越部さんの証言、聞きたいわ!

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東京大空襲の体験を語る。焼夷弾の恐怖、焼け跡の惨状…中学生だった語り手の衝撃と悲しみ。戦争の悲劇を未来へ伝える、貴重な証言。