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江戸時代の被差別民「穢多・非人」とは?差別と苦難の歴史を分かりやすく解説!被差別民「穢多・非人」の歴史、役割、差別問題、解放と課題を徹底解説

江戸時代の暗部、そこには「穢多・非人」と呼ばれる人々がいた。死体処理やゴミ処理など、社会から忌み嫌われる仕事を担い、人間として扱われなかった彼ら。過酷な差別、住居・結婚・仕事の制限…その苦難の歴史を紐解く。身分制度廃止後も残る差別の影、古地図公開で再燃する問題。過去の事実と向き合い、私たちが学ぶべき教訓とは?

江戸時代の被差別民「穢多・非人」とは?差別と苦難の歴史を分かりやすく解説!被差別民「穢多・非人」の歴史、役割、差別問題、解放と課題を徹底解説

📘 この記事で分かる事!

💡 江戸時代の身分制度における「穢多・非人」の定義と、彼らが置かれた過酷な状況を解説します。

💡 明治維新後の解放、そして現在に残る差別問題と、その解決に向けた課題を提示します。

💡 被差別民に関する現代の課題、ネット上での差別問題の現状と対策について言及します。

それでは早速、江戸時代における被差別民「穢多・非人」の歴史から見ていきましょう。

江戸時代の「穢多・非人」:差別と苦難の歴史

江戸時代の「穢多・非人」はどんな存在だった?

差別された最下層身分

今回は、島崎藤村の小説「破戒」を例に、部落差別問題の複雑さを考察します。

島崎藤村『破戒』のあらすじと解説

公開日:2023/09/30

島崎藤村『破戒』のあらすじと解説

✅ 島崎藤村の小説「破戒」は、明治時代の信州を舞台に、被差別部落出身の青年教師・瀬川丑松が、差別との闘いを決意する物語です。丑松は、父から「素性を隠して生きろ」と教えられてきましたが、解放運動家との出会いをきっかけに、差別と向き合う決意をします。

✅ 「破戒」は、自然主義の代表作として、当時の社会問題である部落差別をリアルに描いています。差別は、制度上では廃止されたものの、人々の心のなかに根強く残っており、丑松は、差別と闘うことの難しさを経験します。

✅ 小説を通して、島崎藤村は当時の部落差別の歴史的背景、特に政治体制、宗教、そして部落解放運動の重要性を描き出しています。丑松の葛藤は、差別と闘うことの苦悩と、社会における人間の生きづらさを象徴的に表現しています。

さらに読む ⇒トップページ出典/画像元: https://mangadedokuha.jp/blog-column002-hakai/

小説「破戒」を通して、当時の社会問題である部落差別の根深さを改めて感じました。

差別は、制度上は廃止されても、人々の心に残るものなのですね。

江戸時代の身分制度は、士農工商の下に、最も低い位置に「穢多・非人」という差別的な身分が存在しました。

彼らは、死体処理、皮なめし、ゴミ処理など、当時の社会で忌み嫌われた仕事に従事させられ、人間として扱われない厳しい差別を受けていました。

『穢多』は、『穢れ(けがれ)が多い仕事』や『穢れ(けがれ)た者が行う生業』を意味し、死体処理や皮なめしなどの職務に従事していました。

一方、『非人』は、元々は『罪によって位を奪われた人』を指す言葉でしたが、次第に特定の職務に従事する人々や見た目などが異なる人々などを指すようになり、差別的な意味合いを持つようになりました。

江戸時代には、地方知行制から俸禄制への移行に伴い、各自治体の根帳(人別帳)から外れてしまった人々などが、穢多・非人の身分に置かれ、特定の職務を与えられて、一つの地域に集められました。

これらの職務は、死体処理など、当時の社会で忌み嫌われ、かつ、穢れ(けがれ)があるとされたものであり、穢多・非人は、穢れ(けがれ)を浄化する存在として、社会から隔離され、差別されていました。

彼らは、住居の制限、結婚の制限、仕事の制限など、多くの差別を受けることとなり、生活は非常に困難でした。

現在では「穢多・非人」という言葉は、差別用語として使用されることは避け、彼らの歴史と苦難を理解することが大切です

なるほど、小説を通して当時の社会問題を理解するのは、とても良いアプローチですね。差別問題の歴史的背景を理解する上で、非常に参考になりました。

「穢多・非人」の役割と社会における位置づけ

江戸時代の「穢多・非人」は何を忌み嫌われ、差別されたのか?

死体や病気など「穢れ」とされた

今回は、江戸時代の身分制度における「穢多・非人」の役割と社会的な位置づけについて掘り下げていきます。

中学歴史】「身分別の人口の割合」
中学歴史】「身分別の人口の割合」

✅ 江戸時代の人口の大部分を占めていたのは百姓で、武士はわずか7%しかいませんでした。

✅ 徳川幕府は「士農工商」という身分制度を確立し、武士が最も高い身分に位置づけられました。

✅ 武士は特権階級であり、百姓や町人は税を納めて武士の生活を支えていました。

さらに読む ⇒勉強のわからないを分で解決出典/画像元: https://www.try-it.jp/chapters-2968/lessons-2976/point-2/

江戸時代の身分制度において、「穢多・非人」の方々がどれほど過酷な状況に置かれていたのか、改めて考えさせられました。

人としての尊厳が奪われていたというのは、本当に酷いですね。

江戸時代の身分制度において、「穢多・非人」は、社会的に忌み嫌われる職業に従事し、人としての尊厳を奪われていました

穢多は、牛馬の死体処理や皮革製品の製造、土木工事、清掃などを行い、非人は罪人の処刑や死体処理、病人や障害者の世話、芸能活動に従事していました。

彼らは、死体や病気、犯罪など、古来より日本人が忌み嫌ってきた「穢れ」と深く結びつけられ、差別的な扱いを受けてきました。

特に穢多は、死体を扱うことから「穢れ」の象徴とされ、一般的な街に住むことができず、川沿いなどの人里離れた場所に居住を余儀なくされました。

非人は、犯罪者や罪人など、社会的に忌み嫌われる立場であることから差別されていましたが、中には芸能活動など、社会に貢献していた側面もありました。

江戸時代には、支配体制の強化のために身分差別が強固なものとなり、穢多・非人は農民一揆などの鎮圧に利用され、憎しみの対象となりました。

しかし、穢多は皮革製造の権利を独占していたことで、経済的に裕福な層も存在し、その財力を武器に武士や商人に金貸し業を行う者もいました。

えらいこっちゃ!武士がえらいのは知っとったけど、そんな酷い身分制度があったとは!でも、穢多が金貸しで儲けてたって話は、ちょっと面白いな。格差社会は昔からあったんやね!

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明治維新で解放された穢多・非人。しかし差別は消えず、貧困と偏見に苦しんだ。古地図公開で浮き彫りになる、過去から続く差別の歴史と向き合う課題。