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部落問題の起源を探る旅:歴史的変遷と現代社会への影響?部落問題:中世から現代までの歴史的背景

被差別部落の歴史を紐解く。明治以前の制度的差別から、近代以降の非制度的差別へ。中世起源説と近世政治起源説、二つの視点から部落のルーツを探る。中世からの歴史的連続性、近世権力の政策、経済的要因…複雑に絡み合う差別の構造を、多角的な視点で解き明かす。教育現場で求められる、より深い理解とは?

部落問題の起源を探る旅:歴史的変遷と現代社会への影響?部落問題:中世から現代までの歴史的背景

📘 この記事で分かる事!

💡 部落問題とは、日本社会における歴史的差別問題であり、被差別部落の起源と歴史的変遷を理解することが重要です。

💡 中世から近世にかけて、被差別部落の起源に関する様々な説があり、社会構造の変化と共に差別も変化しました。

💡 現代社会においても部落差別は根強く残り、その解決には正しい知識と多角的な視点からの理解が不可欠です。

それでは、まず部落問題とは何か、その概要から見ていきましょう。

被差別部落の起源を探る:中世から続く差別

近現代の被差別部落の歴史における大きな変化は?

制度的から非制度的へ

本日は、部落問題、奥深いテーマに迫ります!。

連載⑩部落の誤った起源説は「お墨付き」を得て広まった

公開日:2025/05/12

連載⑩部落の誤った起源説は「お墨付き」を得て広まった

✅ 戦後、被差別部落の起源については「戦国末期から江戸時代にかけて支配層が民衆を分断統治するため新たにつくり出したもの」という近世政治起源説が定説となっていましたが、これはマルクス主義的な歴史観に基づいており、学問的な厳密さを欠いているため被差別部落の歴史研究において問題視されています。

✅ 近世政治起源説を唱えた井上清らによる研究は、部落解放同盟の運動と結びつき、部落差別の解消をめざす政府の同和対策事業をもゆがめる結果を生み出しました。

✅ この学説は、部落差別の解消に向けて政府が積極的に取り組むべきだという認識を社会に浸透させ、政府の同和対策審議会の答申にまで反映されました。

さらに読む ⇒情報屋台出典/画像元: https://www.johoyatai.com/5446

近世政治起源説が主流だった時代から、中世起源説など多角的な視点が出てきたのは、大きな進歩ですね。

近現代の被差別部落の歴史は、明治4年の解放令(賤民制廃止令、賤称廃止令)以前の近世とそれ以降に大きな違いがあります。

前近代は制度的・法制的であったのに対し、それ以降は非制度的・非法制的となりました。

前近代の被差別部落の起源については、中世起源説近世政治起源説の二つがあります。

中世起源説では、中世の『延喜式』や『左経記』、『塵袋』などの記録から、すでに部落の歴史が始まっていると主張されます

これらの記録には、<濫僧>や<屠者>、<河原人>などが登場し、彼らは社会的に差別されていたと考えられます。

中世の被差別身分は、法制的に制度化されていませんでしたが、近世の<えた>に繋がるものと考えられています。

なるほど、近世政治起源説が揺らいでいるというのは興味深いですね。学問は常に進化するものだと改めて感じます。

近世における制度化:<かわた>から<えた>へ

部落史の起点、どこから?

戦国時代、かわた統制

江戸時代に制度化された差別は、現代の私たちには想像もつかないほど厳しいものだったんですね。

Q4.部落は、どのようにしてできたのですか?
Q4.部落は、どのようにしてできたのですか?

✅ 部落の起源は中世に社会的差別によって形成され、江戸時代には「穢多」などの賤民身分として法的に固定化されたことにあります。

✅ 中世には、死体処理など「ケガレ」とされた仕事に従事する人々が「キヨメ」と呼ばれ、河原に住むことから「河原者」とも呼ばれていました。

✅ 江戸時代には差別が法制度化され、被差別民は「穢多」や「皮多」などの身分として固定され、居住地や衣服まで規制されるようになりました。

さらに読む ⇒ふらっと 人権情報ネットワーク出典/画像元: https://www.jinken.ne.jp/flat_consultation/buraku/cat849/post_458.php

「穢多」や「皮多」といった身分に固定され、生活まで規制されていたなんて、酷い話です。

一方、近世政治起源説は、中世の<河原者>は近世の<えた>と異なるため、部落史そのものではないと主張します。

彼らは、部落史の起点として、戦国時代から始まる<かわた>(皮革業者)の統制政策を重視します。

豊臣政権は、検地政策を通じて<かわた>を制度化・固定化し、被差別身分と位置づけたとみるのが一般的です。

ただし、この時点では<かわた>は、まだ被差別身分ではなく、職人として把握されていました。

近世の<えた>としての制度化は、江戸前期の寛文・延宝期(17世紀後半)に、宗門改め制度の整備などに伴って、幕領・藩領・寺社領などで行われたとされています

近世の<えた>は、皮革業や行刑・警察・掃除・皮革上納などの役負担を担い、身分制度の最下層に位置づけられていました。

領主から種々の差別的規制を受けるなど、厳しい状況に置かれていました。

えげつない話やな。そんなことがまかり通ってた時代があったって、信じられへんわ。ほんま、人間ってやつは…。

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部落の起源を巡る複雑な議論。近世政治起源説から中世との連続性、多角的な視点へ。差別構造を理解し、根深い問題解決のために歴史を学ぶ。