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薩摩藩主 島津家!700年の歴史と現代に受け継がれる血筋とは?島津家:鎌倉時代から現代まで、歴史を彩る一族の軌跡

鎌倉時代から700年、薩摩を治めた島津家。源頼朝に始まり、戦国時代の激戦を乗り越え、幕末の英傑・島津斉彬は近代化を推進。明治維新を支え、皇室とも深いつながりを持つ名門の血筋は、現代社会にも脈々と息づいています。政治、経済、学術、様々な分野で活躍する子孫たち。その波乱万丈の歴史と、今に続く島津家の姿を紐解きます。

📘 この記事で分かる事!

💡 島津家は鎌倉時代に島津荘の地頭となり、薩摩・大隅・日向の守護として勢力を築きました。

💡 戦国時代には分家との対立や苦難を乗り越え、島津斉彬による近代化への取り組みが始まりました。

💡 明治維新では皇室との繋がりを深め、現代も子孫が様々な分野で活躍し、その血筋は受け継がれています。

それでは、島津家の歴史を紐解いていきましょう。

まずは、その始まりから、近代化への貢献、そして現代へと続く血筋についてご紹介します。

700年の時を超えて

薩摩藩700年の歴史、島津家の始まりは?

源頼朝からの守護職任命!

島津家は、鎌倉時代に源頼朝から土地を与えられたところから始まります。

初代島津忠久は、島津氏の基礎を築き、700年を超える歴史の第一歩を踏み出しました。

その足跡を辿りましょう。

SM01 島津忠久

✅ 島津忠久は、島津氏の祖であり、惟宗氏を本姓とし、後に藤原氏も称した。生年については諸説あるが、1170年代後半から1180年代初頭と推定され、父は源頼朝、母は丹後局とされる。

✅ 忠久は、源頼朝より伊勢国波出御厨や島津荘下司職に任じられ、その後島津荘の惣地頭となる。奥州合戦にも参加し、大隅・薩摩・日向の守護に任じられたが、比企能員の変に連座し職を没収された。その後、薩摩国地頭職に復帰。

✅ 承久の乱後には越前国守護に任じられ、藤原姓を称した。嘉禄3年(1227年)に死去し、墓は鎌倉に建てられた。実父については複数の説があるが、近年は養子であった可能性が指摘されている。

さらに読む ⇒n}出典/画像元: https://www.his-trip.info/keizu/SM01.html

島津氏の始まりは、鎌倉時代まで遡るのですね。

源頼朝との繋がりや、地頭職への就任など、歴史の教科書で学んだことが詳しく解説されていて、とても興味深いです。

鎌倉時代から700年もの長きにわたり、薩摩藩(現在の鹿児島県と宮崎県南部)を統治した島津家

その歴史は、初代忠久が源頼朝より薩摩・大隅・日向の守護職に任じられたことに始まります。

忠久の出自には諸説ありますが、現在は惟宗忠康の子であるとする説が有力です。

鎌倉時代には御家人として、南北朝時代には北朝方として勢力を拡大し、5代貞久の代には大隅・日向の守護職を回復。

その後、島津宗家と分家との対立を経て、9代忠国の代には守護大名として確立しました。

なるほど、島津家のルーツは鎌倉時代ですか!700年も続くって、すごいですよね。しかも、頼朝公との繋がりがあったとは、歴史って本当に面白い!

戦国時代の試練と再興

戦国島津氏再興の立役者は?

伊作忠良(日新斎)

戦国時代は、島津家にとって大きな試練の時代でした。

分家との対立、そして、どのようにして宗家が再興を果たしたのか。

そして、その後の近代化への道筋を見ていきましょう。

島津斉彬は何をした人?功績・篤姫・西郷隆盛との関係まで解説

✅ 島津斉彬は、薩摩藩の近代化を目指し、集成館事業を通じて西洋技術を導入し、軍事力と産業の発展を図った。

✅ 彼は、富国強兵だけでなく、日本全体の近代化と国際社会での地位向上を目指し、国防の重要性を認識していた。

✅ 集成館事業は、大砲や蒸気船の製造、ガラス工芸など多岐にわたり、地域への雇用創出にも貢献したが、斉彬の急逝により計画の全てが実現したわけではない。

さらに読む ⇒日本史のススメ出典/画像元: https://historynavi.com/shimazu-nariakira-kouseki/

戦国時代の苦難を乗り越え、島津斉彬公による近代化の取り組みは、まさに薩摩藩の転換期だったと言えますね。

集成館事業の詳細にも、大変興味を惹かれました。

戦国時代に入ると、有力分家や国衆の反乱により弱体化しましたが、14代勝久は伊作忠良(後の日新斎)を頼り、ここに戦国島津氏が宗家として再興を果たしました

この戦国時代を経て、島津家は勢力を拡大し、その血筋は現代まで受け継がれています。

特に15代貴久の子孫である島津斉彬は、幕末の薩摩藩主として近代化を推進し、西郷隆盛ら明治維新の原動力となる人材を育成しました。

斉彬は多くの子供をもうけましたが、嫡流は途絶えました。

しかし、彼の血筋は孫娘などを経て現代まで続いています。

島津斉彬公、めっちゃカッコええやん!西郷隆盛とかも育てたって、すごいな!でも、嫡流が途絶えたってのは、ちょっと残念やな…。でも、血筋は続いてるみたいでよかった!

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薩摩藩主・島津家。幕末維新の功績、皇室との縁、篤姫との関係…700年の歴史と現代に続く血筋。実業家、学者も輩出。その秘密に迫る!