江戸時代の寿司は、発酵から即席へ?握りずしの誕生とは!?
💡 江戸時代の寿司は、発酵食品としての歴史から始まりました。
💡 庶民向けの即席寿司として「早ずし」が登場し、様々な寿司が誕生しました。
💡 握りずしは、江戸の街で発展し、寿司文化の基礎を築きました。
では、江戸時代の寿司の歴史について、詳しく見ていきましょう。
江戸時代の寿司:発酵から即席へ
江戸時代では、発酵食品としての寿司が主流で、庶民には、酢と塩で味付けた即席の寿司が人気だったんですね。
✅ 「すし」は、古来より日本各地で作られてきた伝統的な発酵食品で、生魚を米と一緒に発酵することで旨味を引き出し、保存も可能にする。
✅ 江戸時代には、酢を混ぜた酢飯を用いる「早ずし」が登場し、押しずしや切りずしが盛んに作られるようになった。さらに、文政年間には、手で握った酢飯の上に味付けした魚介を乗せた「握りずし」が誕生。
✅ 握りずしは、江戸前魚介を用いて、鮮度を最大限に活かした調理法で、江戸の庶民に愛された。華屋与兵衛が考案した握りずしは、江戸の屋台で広まり、その後、すし専門店も誕生し、日本全国に広がった。
さらに読む ⇒日本食文化の醤油を知る出典/画像元: https://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-3a.html発酵から即席へ、時代とともに変化していく寿司の姿が興味深いです。
江戸時代の寿司の歴史は、発酵させた「なれずし」から始まりました。当時は、主に天皇、将軍、大名といった高貴な人々向けの献上品として扱われ、各地の産物を使い、毎年同じように作られていました。江戸初期の製法は、明治時代まで受け継がれていました。一方、庶民の間では、「早ずし」と呼ばれる、酢と塩で味付けた即席の寿司が人気を集めていました。箱ずし、巻きずし、棒ずしなど、現代でも愛されている様々な寿司がこの時代に誕生しました。
そうですね。江戸時代の寿司は、現代の寿司とは全く異なる姿をしていたと考えられます。
いや~、昔は寿司って発酵食品やったんすか!?知らんかったわ~
発酵食品… 昔の寿司は、今のイメージと全然違いますね!
握りずしの誕生:江戸の街で
では、握りずしの誕生について、お話をお伺いしましょう。
公開日:2024/02/25
✅ 華屋与兵衛は、江戸時代の寿司業界で握り寿司を考案し、一世を風靡した伝説的な人物です。彼は、押し寿司が主流だった時代に、現代の握り寿司に近い形の寿司を開発し、江戸っ子の食生活に革命をもたらしました。
✅ 与兵衛の握り寿司は、その手軽さと美味しさで瞬く間に人気となり、江戸中の評判となりました。彼の寿司店は繁盛し、江戸三鮨と呼ばれる寿司業界のトップ3に数えられました。
✅ 与兵衛は、握り寿司以外にもおぼろ寿司も考案しました。寿司の進化に大きく貢献した与兵衛は、江戸の食文化に多大な影響を与え、現代の寿司文化の礎を築いたと言えるでしょう。
さらに読む ⇒|出典/画像元: https://sushiwalker.com/feature/85479華屋与兵衛は、握りずしを考案しただけでなく、寿司店を繁盛させた伝説的な人物ですね。
江戸時代後期には、100万人が暮らす大都会、江戸で、握りずしが誕生しました。屋台文化が盛んだった当時の江戸では、握りずしは屋台で人気を博しました。握りずしの考案者は不明ですが、与兵衛鮓の初代主人である初代華屋与兵衛が握りずしを大成したと考えられています。当時の握りずしは、現在の握りずしよりも大きく、江戸前の魚介を下処理したネタと、酢と塩で味付けしたすし飯を握っていました。
華屋与兵衛は、江戸時代の寿司文化に大きな影響を与えた人物です。
与兵衛さん、すげーな!握りずし考えたんか!
握りずしって、江戸時代からあったんですね…!
名店誕生:江戸三すし
江戸時代には、握りずしを専門に扱う名店も誕生したんですね。
✅ 「松が鮓」は、江戸時代に深川で創業した高級寿司店で、握り寿司の発展に大きく貢献したとされる。
✅ 「松が鮓」は、当時の最高級寿司店で、値段も非常に高く、その美味しさは、猫がペロリと食べてしまうほどであったと伝えられている。
✅ 「松が鮓」は、当時の遊女の間でも人気があり、その値段の高さを反映した川柳も存在する。
さらに読む ⇒気ままに江戸♪ 散歩・味・読書の記録出典/画像元: https://wheatbaku.exblog.jp/22294937/「松が鮓」は、当時、値段も非常に高かったんですね。
江戸時代後期には、握りずし界に「江戸三すし」と呼ばれる名店が誕生しました。その中でも特に有名なのが、「松がずし」です。松がずしの正式名称は「いさごずし」で、店主は堺屋松五郎でした。松がずしという名前は、店があった場所である深川・御船蔵町が安宅丸が埋められた場所であったことから、「安宅」と呼ばれていたことに由来しています。安宅は、歌舞伎「勧進帳」で有名な義経と弁慶の関所越えの舞台である加賀国の安宅の関とも結びついており、「安宅の松」は多くの人に知られた名所でした。そのため、「安宅のすし屋」は「松がずし」と呼ばれるようになったのです。
「松が鮓」は、江戸三すしの中でも特に有名な店です。
松が鮓って、めっちゃ高い寿司やったんやな~
猫がペロリと食べてしまうほど… すごく美味しい寿司だったんでしょうね。
江戸前寿司の隆盛:握り寿司が主流に
握り寿司が主流になった江戸時代後期について、詳しく説明してください。
公開日:2020/12/14
✅ 江戸前握り寿司の起源は、文政年間初期(1819年頃)に小泉与兵衛が考案した「握り寿司」であり、当時は「押寿司」が主流であった江戸において、手軽に食べられる新しい寿司として人気を博しました。
✅ 与兵衛は、当初は岡持ちで売り歩く「宅配寿司」や路面店での営業を行っていましたが、その後、屋台での販売を始め、寿司をファストフードとして提供していました。
✅ 江戸時代の寿司は、現代の回転寿司のように、庶民にとって手軽な食事であり、繁華街では屋台が軒を連ね、様々なネタの寿司を味わうことができました。
さらに読む ⇒nippon.com出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00962/江戸時代の寿司は、庶民にとって手軽な食事だったんですね。
江戸時代後期には、握り寿司が普及し、安政の頃(1854年頃)には「江戸の寿司といえば握り寿司」と言われるほどになったと、『守貞謾稿』に記されています。また、当時は寿司店が多く、松の鮓、与兵衛鮓、毛抜鮓、小松鮓といった有名店が存在していました。江戸前寿司は、江戸の町人の食文化の発展や、濃口醤油や酢の醸造技術の発展、そして華屋与兵衛の創意工夫によって生まれたと言えます。
江戸時代後期には、握り寿司が急速に普及し、江戸の食文化に大きな影響を与えました。
江戸時代は、屋台で寿司が食べれたんや!うらやましいわ~。
江戸時代の人は、色々な種類の寿司を味わっていたんですね。
江戸時代の寿司は、発酵食品としての歴史から始まり、握りずしの誕生を経て、現代の寿司文化の基礎を築いたことが分かりました。
💡 江戸時代の寿司は、発酵食品としての歴史から始まりました。
💡 庶民向けの即席寿司として「早ずし」が登場し、様々な寿司が誕生しました。
💡 握りずしは、江戸の街で発展し、寿司文化の基礎を築きました。