横尾忠則の『寒山百得』展:自由人としての表現とは?自由人としての横尾忠則とは!!?
💡 横尾忠則氏は、自由な表現で知られる現代美術家です。
💡 『寒山百得』展は、横尾忠則氏が約1年半かけて制作した新作シリーズを展示するものです。
💡 本展では、横尾忠則氏の独自の解釈による「寒山拾得」の世界観に触れられます。
それでは、本章では横尾忠則氏の『寒山百得』展について掘り下げていきましょう。
自由人としての横尾忠則:寒山百得にみる多様な表現
本章では、横尾忠則氏の自由な表現について詳しく見ていきましょう。
✅ 「横尾忠則 寒山百得」展は、横尾忠則による「寒山拾得」シリーズの完全新作102点を一挙初公開する、最大規模の展覧会です。
✅ 本展では、横尾忠則が約1年半かけて制作した「寒山拾得」シリーズを、制作順に展示しています。作品には日付が記されており、キャプションや説明は一切ないため、自由な鑑賞が推奨されています。
✅ 「寒山拾得」という伝統的なテーマを、現代的な解釈で表現した作品は、トイレットペーパーや掃除機などの現代的なモチーフを取り入れ、時空を超えた多様なイメージが融合されています。また、展覧会では横尾忠則の小説「原郷の森」の一説が壁に展示されており、作品との関連性を意識しながら鑑賞できます。
さらに読む ⇒Tokyo Art Beat出典/画像元: https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/tadanori-yokoo-review-202309横尾忠則氏の作品は、伝統的なイメージを現代的な解釈で表現しており、非常に興味深いですね。
横尾忠則氏は、87歳にしてなお旺盛な創作意欲で活動を続けるグラフィックデザイナー兼画家です。戦後から活躍し、舞台芸術のポスターなどを手掛け、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でも個展を開催した経歴を持ちます。近年は、絵画制作に没頭し、特に2020年のパンデミック中は、生活と芸術が一体化し、多くの作品を制作しました。今回の東京国立博物館表慶館での個展では、1年2ヶ月で完成させた102点の新作「寒山百得」シリーズが展示されます。これは、中国・唐時代の詩僧である寒山と拾得をモチーフにしたもので、横尾は独自の解釈で、それぞれの作品に異なるスタイルを用いて再構築しています。「寒山百得」は、横尾がアスリートのように、言葉や観念を排除し、肉体と感覚だけで制作したもので、作品のスピードもアスリート並みだったという。寒山と拾得は、世俗を超越した生き様から「風狂」とされ、その脱俗的な振る舞いは、知識人たちを魅了してきた。横尾は、彼らを「好き放題、勝手気ままな生き方をする自由人」と捉え、自身のなかにも「寒山拾得」がいると感じている。「寒山百得」シリーズは、伝統的な解釈にとらわれず、シルクハットとマントを身につけた魔術師のような姿や、ロボットのような姿、マネの《草上の昼食》を思わせる構図など、多種多様な表現で描かれている。横尾は自身の作品を通して、現代社会における「自由人」像を提示し、観る者に自由な解釈を促している。
そうなんです。横尾忠則氏は、自身の感覚を大切にすることで、自由な表現を生み出しているんですね。
まさに、自由人やなぁ!横尾さんの作品は、ホンマに面白いわ!
私も、横尾さんの作品は、自由で楽しいと感じました。
画家としての横尾忠則:読書と精神世界の探求
続いては、横尾忠則氏の画家としての側面について見ていきましょう。
✅ 三島由紀夫が企画・出演し、篠山紀信が撮影した幻の写真集「男の死」を再構成した超大型版写真集。
✅ 三島は生前、篠山紀信が撮影した宗教画「聖セバスチャンの殉教」を気に入り、写真集化を計画し、横尾忠則に共同出演を依頼。
✅ 三島の死により幻となった写真集だが、今回、篠山紀信が撮影したフィルムを全て提供し、横尾忠則が再構成することで、幻の写真集が50年ぶりに蘇る。
さらに読む ⇒絶版・レア本を皆さまの投票で復刻出典/画像元: https://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68329409三島由紀夫とのコラボレーションという、貴重な写真集ですね。
横尾忠則氏は、絵を描くことは感覚的で肉体的、読書は観念的で精神的と捉え、若い頃は絵に熱中し読書には関心がなかった。しかし、45歳で画家宣言後、美術を学ぶために画集を読み始める。本を読むことよりも、実際に体験し、自分の感覚で捉えることを重視する。しかし、三島由紀夫の『金閣寺』を読んだことがきっかけで、三島由紀夫に興味を持ち、彼との出会いを経て精神世界への扉が開かれた。横尾氏は、画家として活動する傍ら、画集を眺めることで過去の画家たちと対話し、自身の作品に影響を与えている。読書は、直接的な体験ではなく、他者の経験を通して学ぶものであるが、横尾氏は、自身の作品を通じて、独自の考え方や生き方を表現している。
横尾忠則氏は、読書を通して精神世界を探求していたんですね。
えぇ、三島由紀夫さんとコラボレーションって、ホンマにスゴイわ!
三島由紀夫さんの作品は、私も読んだことがあります。
言葉を離れる:横尾忠則の読書観
では、横尾忠則氏の読書観について、少し深掘りしてみましょう。
✅ 横尾忠則のエッセイ集「言葉を離れる」は、横尾自身の読書経験、言葉との関係、そして画業に対する考え方を語っている。特に、横尾は幼少期からほとんど読書をしなかったという事実を告白し、絵画における言葉の排除を強調している。
✅ 横尾はグラフィックデザイナーとして活躍してきたが、デザインにおける文字はクライアントによって与えられ、変更できないという制約がある。そのため、横尾はデザイナーとしての自身の立場と絵画における言葉の役割について深く考察している。
✅ 本書では、横尾の人脈や交友関係、そして過去の出来事についても触れられており、特に三島由紀夫との出会い、劇団との関わり、海外での活動などが紹介されている。横尾は自身の経験をカルマとして捉え、独自の神秘主義に目覚めたことを明らかにしている。
さらに読む ⇒Living Well Is the Best Revenge出典/画像元: https://tomkins.exblog.jp/24965264/言葉よりも感覚を重視する、独特な読書観ですね。
横尾忠則の『言葉を離れる』は、言葉や読書に対して独特の視点を持つ著者が、言葉という非現実的なものよりも肉体的な感性を信じる読書観を語るエッセイ集です。言葉を信用せず、ビジュアリストの視点を持つ著者は、読書を「所詮他人の経験の疑似体験」と捉え、現実での体験こそが感性を磨くものだと主張します。著者は、言葉よりも肉体、体験、そして自然や人との触れ合いから学びを得てきました。三島由紀夫との交流を通して、ビジュアリストは理論的な思考なく悟りを得ているという興味深い指摘もされています。本書は、言葉の限界や読書の真の意味について考えさせられるだけでなく、著者の独特な感性と世界観を垣間見ることができる一冊です。言葉よりも現実、そして肉体が持つ力強さを改めて感じさせられる読書体験となりました。
横尾忠則氏は、言葉ではなく感覚から学ぶことを重視しているんですね。
言葉よりも感覚重視って、ホンマにビジュアリストやなぁ!
言葉よりも感覚って、少し難しいですが、心に響くものがありますね。
老いと死に向き合う横尾忠則:感覚と表現の融合
本章では、横尾忠則氏の老い、死、そして感覚について考えていきましょう。
✅ 「横尾忠則 寒山百得」展では、横尾忠則が独自の解釈で描いた「寒山拾得」シリーズの新作102点が初公開されています。
✅ 展示されている作品は、伝統的な寒山拾得のイメージを現代的に解釈し、ユーモアを交えながら、イメージからイメージへと変容していく様子が見て取れます。
✅ 横尾忠則は、作品に特定のメッセージや意図を込めていないと語り、観客が自由に想像と解釈を楽しめる展示となっています。
さらに読む ⇒たいとう文化マルシェ出典/画像元: https://www.culture.city.taito.lg.jp/ja/reports/31711横尾忠則氏の作品は、老い、死、そして感覚について深く考えさせられますね。
横尾忠則氏は、2023年現在も精力的に活動を続ける87歳の芸術家です。東京国立博物館での個展『横尾忠則寒山百得』展では、寒山拾得という主題を固定しつつ、描き方を日々変化させています。これは、横尾氏が自身の食事のように、日々変化する気分や感覚をそのまま作品に反映させているためです。インタビューでは、自身の老い、死、そして「死んだふり」について語られています。五感が衰え、肉体に従って絵を描くようになった横尾氏は、自我への執着から離れることを「死んだふり」と表現しています。これは、生き物が本能的に危険を回避するために取る行動であり、横尾氏自身の過去の作品にも見られる行動だと述べています。横尾氏は、頭で考えるよりも、体の感覚に従って制作することを重要視しています。頭は自我とつながり、損得勘定で行動しがちですが、体は無意識に感覚を伝え、真の表現を生み出すと信じています。
横尾忠則氏は、老い、死をテーマに、独自の表現を追求しているんですね。
横尾さん、ホンマにスゴイわ!歳を重ねても、創作意欲が衰えへんのは、ホンマに尊敬するわ!
私も、老い、死について考えるきっかけになりました。
画家としての横尾忠則:表現の変遷と多様性
最後に、横尾忠則氏の画家としての表現について、詳しく見ていきましょう。
✅ 現代美術家・横尾忠則が「寒山拾得」を独自に解釈し、新作102点を初公開する展覧会「横尾忠則 寒山百得」が、東京国立博物館 表慶館で開催されている。
✅ 本展では、伝統的な題材である「寒山拾得」を、横尾独自の解釈で表現した作品が、自由奔放なイメージで描かれており、多様性に富んだ空間を生み出している。
✅ 展示にはタイトルや解説がなく、鑑賞者は先入観なく自由に作品と向き合える。横尾作品の特徴でもある「朦朧体」と明るい色彩が、従来の「寒山拾得」のイメージとは異なる新鮮な印象を与えている。
さらに読む ⇒SPICE(スパイス)|エンタメ特化型情報メディア スパイス出典/画像元: https://spice.eplus.jp/articles/322070横尾忠則氏の作品は、非常に多様で、見ていて飽きないですね。
横尾忠則氏は、1980年にニューヨーク近代美術館でピカソの個展を見たことをきっかけに、グラフィックデザイナーから画家へと転身しました。それまでクライアントの要望に応える仕事に専念していた横尾は、ピカソの生き様に影響を受け、自身の本能を第一に、未知の世界に挑戦したいと考えました。画家になってからは、古今東西の美術史や宗教、神話などをテーマに作品制作を行い、ボディー・ビルダーとのコラボレーションや陶板による作品制作など、様々な試みを行いました。また、自身の制作場所であるアトリエが完成したことで、ガラスや鏡、羽根といった素材をコラージュしたり、異なる次元を共存させる画面構成を試すなど、独自の表現方法を確立していきました。夢にでてきた滝モチーフの繰り返し、少年時代の記憶や風景、映画から想起されるイメージなどをコラージュし、極めて自伝的なソースから独特の世界観を生み出し、1990年代には万華鏡のような複雑な画面構成の作品を制作しました。1990年代半ばからは、赤と黒が混ざり合い画面全体を覆うような赤い絵画の連作に取り組み、2000年代には「Y字路」シリーズに着手しました。このシリーズは、横尾の少年時代の思い出の模型屋を撮影した写真に、人生の岐路や異界の入り口のようなイメージを重ね合わせたもので、その後も継続的に制作されています。横尾の作品は、写実的な表現から不自然な色彩豊かなものまで、多岐にわたっており、彼の心境や社会の空気を反映していると言えるでしょう。横尾忠則氏は、自身の作品シリーズ「寒山拾得」の創作背景について語りました。きっかけは、森鴎外の短編小説「寒山拾得」を読んで、架空の人物である寒山拾得とその生き方に強い興味を持ったことです。既存の枠にとらわれない自由な生き方を表現するのに最適なテーマだと考えた横尾氏は、曾我蕭白の「寒山拾得」を参考に、自身の解釈で作品を描き始めました。当初は「古典×現代」展で2点の作品を発表し、このテーマに別れを告げようとしていました。しかし、その後東京都現代美術館の「GENKYO」展で再び「寒山拾得」を描いたことをきっかけに、100点近くの作品を制作するに至りました。横尾氏は、100点の絵を描く過程で、当初のスタイルから離れ、寒山拾得を現代人や女性に置き換えるなど、多様性を表現することに重点を置くようになりました。それは、自身のなかに存在する多様な人格を表現したいという気持ちから生まれたものであり、横尾氏にとって「寒山百得」は自分のなかの「ちっさい私」を解放する作品と言えます。横尾氏は、真面目な自分、不真面目な自分、カッコいい自分を追求する自分、ふざけた自分など、様々な人格を絵画を通して自由に表現しました。その過程において、過去に培ってきた様々な経験や作品制作が役に立ったと述べています。
横尾忠則氏の作品は、様々な要素が融合していて、非常に興味深いです。
横尾さん、ホンマに多才やなぁ!絵描きだけやなくて、デザインもできるんやからスゴイわ!
横尾さんの作品は、色彩も綺麗で、見ていて楽しいです。
本日は、横尾忠則氏の『寒山百得』展について、ご紹介させて頂きました。
💡 横尾忠則氏は、自由な表現で知られる現代美術家であり、自身の感覚を大切に作品を制作しています。
💡 『寒山百得』展では、横尾忠則氏の独自の解釈による「寒山拾得」の世界観を、多様な表現を通して体感できます。
💡 本展は、横尾忠則氏の芸術に対する情熱と、自由な表現への探求を感じられる貴重な機会です。