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西行法師の生涯と歌の世界?桜の花の下で春死なむとは!!?

西行法師の生涯と歌の世界?桜の花の下で春死なむとは!!?
📘 この記事で分かる事!

💡 西行法師は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人であり、出家前は義清と呼ばれていたこと

💡 西行法師は桜の花の下で亡くなりたいという願いを歌に詠んでいたこと

💡 西行法師の歌は、自然への深い愛情と、人生の無常観が表現されていること

それでは、西行法師の生涯、歌の世界、そして桜への思いについて詳しく見ていきましょう。

西行法師の生涯とゆかりの地

西行法師は、本当に色々な場所を旅して、歌を詠んだんですね。

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西行法師ゆかりの地

✅ この記事では、和歌山県かつらぎ町天野にある西行法師ゆかりの西行堂、高野山にある西行法師ゆかりの三昧堂と大会堂、そして奈良県吉野山奥の千本にある西行庵について解説しています。

✅ 西行堂は西行法師の妻と娘が住んだ庵を祀ったもので、三昧堂は西行法師が治承元年(1177年)に移築造営したとされる場所で、大会堂は西行法師が奉行をつとめた法会の場所です。

✅ 西行庵は西行法師が俗界を避けてわび住まいをした場所と伝えられており、西行法師が吉野山で詠んだ和歌も紹介されています。

さらに読む ⇒ぐるりん関西ぐるりん関西出典/画像元: https://gururinkansai.com/saigyohoshiyukarinochi.html

西行法師は、妻や娘と天野の地で生活していたんですね。当時の暮らしぶりを想像すると、とても興味深いですね。

西行法師は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人であり、出家以前は義清と呼ばれていました。23歳で突如出家し、心の赴くままに諸国を行脚し、多くの歌を詠みました。西行は、陸奥や出羽、瀬戸内や讃岐など、さまざまな地で庵を営み、和歌を詠みました。修行のため、陸奥へ旅立ったのは久安2年(1146)、西行が29歳の頃です。その後、3年間の陸奥の旅から帰り着いた西行は、高野山へ入山し、度重なる出入りを繰り返しつつも30年にもわたって過ごしました。高野山から京へ上る途中、天野(現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町)を経る道があります。田畑が広がり人家がひっそりと佇む天野の郷は、桃源郷を思わせ、西行を魅了したと言われています。この天野の地で、西行は同じく出家した妻子とともに庵を営み、修行しながら暮らしたそうです。西行は『新古今和歌集』の代表的歌人の一人であり、鳥羽上皇の北面の武士であった職を捨て法師となりました。旅の途中の一時期、小さな庵で3年間生活したと言われています。庵の近くには西行が詠んだ歌に出てくる苔清水が今でも湧き出ており、歌の思いを重ねることができます。西行とともに出家した妻娘が修行しながら住んだと伝えられる天野の地で生涯を終えた2人を偲んで、西行堂が建てられました。平安時代末期から天野の里人たちにより再建を繰り返し、守られています。現在のお堂は、1986年に場所を移して再建されたものです。西行の妻娘が眠るとされる墓は、西行堂からわずか3mの場所に建てられています。西行が住んだ庵が朽ちた後、天野の里人たちが墓の横に「西行堂」を建て、西行並びに妻娘の供養を始めたためです。西行本人ではなく、その妻娘が天野の地で生活したことを伝えるものとして、非常に珍しいとされます。西行が育ったとされる紀の川市竹房には、郷土の偉人を讃え、紀の川市が建立した歌聖西行法師像があります。高さ2mのブロンズ像の下には西行の和歌「なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな」が刻まれています。西行ゆかりの地を訪れ、彼の歌に込められた思いに触れてみてはいかがでしょうか。

そうですね、西行法師は、本当に多くの土地を旅して、その土地の自然や人々の暮らしを歌に詠みました。彼の歌から当時の社会や文化を垣間見ることができるのが、とても興味深いですね。

西行法師、奥さんとお嬢さんと天野で暮らしてたってホンマかいな!?そりゃあ、ええなぁ!うらやましいわ!

西行法師が、家族と天野で過ごしていたなんて、知らなかったです。和歌集を読むだけでは分かりませんね。

西行法師の代表的な歌と桜への思い

西行法師は、桜の花をとても愛していたんですね。

🔖 関連記事の要約!願はくは花のしたにて春死なむその如月の望月の頃
願はくは花のしたにて春死なむその如月の望月の頃

✅ 西行は、自身の死期を予測し、陰暦2月15日(旧暦の満月の日、お釈迦様の入滅の日)に桜の花の下で亡くなりたいという願いを歌に詠みました。

✅ 実際に西行は、陰暦2月16日に亡くなり、その予言はほぼ的中しました。

✅ この歌は、西行が人生の終わりをどのように捉え、死をどのように受け入れようとしたのかを示しており、人生の終わり方を考える上で重要な示唆を与えてくれます。

さらに読む ⇒おいどんブログおいどんブログ出典/画像元: https://oidon5.hatenablog.com/entry/2019/07/20/190000

西行法師は、自分の死を意識して、桜の花の下で亡くなりたいと願っていたんですね。美しくも儚い願いですね。

西行法師の代表的な歌「願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」は、桜の花の下、陰暦2月15日の満月の日に亡くなりたいという、美しくも儚い願いを歌っています。西行は、武士でありながら23歳で出家し、旅をしながら歌を詠む生活を送りました。彼の歌には、自然への深い愛情と、人生の無常観が表現されています。この歌は、春に咲き乱れる桜の花と、満月という美しくも儚い情景を対比させ、死を美しく肯定的に捉えています。西行は、桜の花の下で亡くなるという願いを叶え、実際に亡くなったのは2月16日でした。この歌は、西行の美しくも儚い人生観を表す名歌として、後世に語り継がれています。西行は鎌倉時代の歌人であり、新古今和歌集や百人一首に作品が収められています。特に吉野山の桜を題材にした歌で知られています。代表的な歌に「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」があり、桜の花の下で春に亡くなりたいという西行の願いが込められています。西行は桜の花を通して、自身の生と死、そして愛した女性への思いを重ねています。また、桜の青葉を通して、散ってしまった花の残像を表現し、儚さを歌っています。西行は生涯を通して桜を愛で、その美しさに心を慰められました。彼の桜の歌は、自然の美しさだけでなく、人間の生と死、愛と別れといった普遍的なテーマを描き出し、読者に深い感動を与えます。

西行法師の桜への想いは、本当に深いものがありますね。彼の歌は、桜を通して、人生の儚さや美しさ、そして死に対する考え方までを表現しているように感じます。

桜の下で春死なむって、ほんまにロマンチックやなぁ!まさに、西行法師らしい終わり方やないか!

西行法師の桜への想いは、本当に素敵ですね。私も、いつか桜の花の下で、心に残る時間を過ごしたいです。

西行法師の歌の世界

西行法師の歌は、本当に奥が深いですね。

🔖 関連記事の要約!辞世の歌 その13「願はくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」(西行法師)

公開日:2023/10/07

辞世の歌 その13「願はくば花の下にて春死なむその如月の望月のころ」(西行法師)

✅ 西行の辞世の歌「願はくは」は、彼が生涯追い求めた花と月、そして仏教への思いが凝縮された名歌だが、同時に「死」という言葉の不適切さや「花」と「月」の演出過剰さなど、批評を受ける部分もある。

✅ しかし、西行は「願はくは」の通り、2月の満月の日(旧暦)に亡くなり、その事実が彼の死後、名声を高め、歌人としての伝説を確立させた。

✅ 西行の死を悼む定家、俊成、慈円らの歌や、後鳥羽院による神格化、物語の創作などにより、彼は現在も「伝説の歌人」として語り継がれている。特に「願はくは」は、西行の死と結びつき、彼の歌人としてのイメージを決定づける重要な作品となっている。

さらに読む ⇒令和和歌所 - 伝統的な短歌「和歌」を学び、仲間と詠む令和和歌所 - 伝統的な短歌「和歌」を学び、仲間と詠む出典/画像元: https://wakadokoro.com/wonderful-songs/%E8%BE%9E%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%AD%8C-%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%91%EF%BC%93%E3%80%8C%E9%A1%98%E3%81%AF%E3%81%8F%E3%81%B0%E8%8A%B1%E3%81%AE%E4%B8%8B%E3%81%AB%E3%81%A6%E6%98%A5%E6%AD%BB%E3%81%AA%E3%82%80/

西行法師の辞世の句は、彼の歌人としてのイメージを決定づける重要な作品なんですね。

西行法師は、僧侶となって各地を旅しながら、生涯で約2300首の歌を詠んだとされています。新古今和歌集には94首が採られ、後鳥羽院からも最高の賛辞を受けています。西行法師の代表作として、花の下で春に死にたいという願いを込めた「願はくは花の下にて春死なむ」、鴨の飛び立つ沢辺の秋の夕暮れを詠んだ「心なき身にもあはれは知られけり」、清水が流れる柳の木陰に立ち止まった様子を描いた「道の辺に清水流るる柳陰」、吉野山の桜を忘れられない想いを歌った「吉野山梢の花を見し日より」、恋の嘆きを月と重ねて表現した「嘆けとて月やはものを思はするか」、富士山を背景に自分の思いを吐露した「風になびく富士の煙の空に消えて」などがあります。西行法師の歌風は、自然と人間の心の深い結びつきを表現し、哀愁漂う情感が特徴です。特に、旅の途中の風景や、愛する人への切ない思いを繊細な言葉で描写した作品が多く、現代でも多くの人に共感されています。

西行法師の歌は、解釈によって様々な意味を持つことが分かりますね。彼の歌を読むことは、当時の社会や文化、そして人間の心の複雑さについて深く考える機会を与えてくれます。

西行法師の歌は、ほんまに難しいなぁ。でも、それだけ奥が深いってことやな。

西行法師の歌は、言葉の美しさもさることながら、そこに込められた深い意味が、本当に魅力的です。

能楽「西行桜」の世界

能楽の世界も、奥が深いですね。

🔖 関連記事の要約!vol.37「西行桜」
vol.37「西行桜」

✅ 西行は、桜の美しさゆえに多くの人が集まることを「桜のとが」と捉え、歌を詠みます。

✅ 老桜の精が現れ、桜の罪はないと西行を諭し、桜の名所を教え、西行と共に春の美しさを楽しみます。

✅ 西行は、老桜の精との出会いを通して、桜の美しさに対する自身の考えを改め、春を惜しむ心を共有します。

さらに読む ⇒MEG-net 【Mixture Entertainment Guide】MEG-net 【Mixture Entertainment Guide】出典/画像元: http://www.meg-net.com/meg/oh_noh/ohnou-37.html

西行法師は、老桜の精との出会いを通して、桜に対する自身の考えを改めたんですね。

西行桜は、能楽の演目で、西行法師が山桜を愛でる場面から始まります。西行は、花を愛でながら、世捨て人の境地と浮世の狭間に揺れ動く心情を歌に詠みます。そこに現れたのは、老桜の精。老桜の精は、西行に花の名所を語り、無心な草木が仏法に逢い成仏できることを説きます。西行は老桜の精との出会いを喜び、共に花の美しさに酔いしれます。二人は合掌し、老桜の精は花の名所を巡る舞を披露します。夜明けが近づき、老桜の精は時の過ぎ去るのを惜しみながら、静かに舞います。西行は、老桜の精との別れを惜しみ、春の夜の花の影から明け始める風景を目に焼き付けます。老桜の精は、夜嵐に散った花びらと共に、跡形もなく消え去ってしまいます。西行桜は、自然と人間の関係、そして仏教的な教えを、美しい舞と歌によって表現する、深い感銘を与える能楽作品です。

能楽「西行桜」は、西行法師の桜への想いと、自然との深い繋がり、そして人間の心の奥底にあるものを表現した作品ですね。

西行桜、ほんまにええ話やなぁ!桜の精との出会いは、西行法師の人生観を変えたんやろなぁ。

能楽「西行桜」は、初めて観たのですが、本当に感動しました。桜の美しさを通して、人生の儚さや自然との調和を感じました。

西行の歌の解釈と辞世の句

今回は住職さんの語りを通して、西行法師の一生について知ることができましたね。

🔖 関連記事の要約!紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その1
紙芝居:「願わくば、花の下にて春死なん~西行法師の一生」その1

✅ この記事は、住職が自身の経験を語りかける形式で書かれた「紙芝居」形式のコラムです。

✅ 今回は、西行法師の一生をテーマとしており、西行がかつて北面の武士であったことや、桜の花の下で亡くなりたいという願いを持っていたことを紹介しています。

✅ 記事は未完であり、続きが期待される内容となっています。

さらに読む ⇒お寺の出前!紙芝居屋亭お寺の出前!紙芝居屋亭出典/画像元: https://o-demae.net/blog/archives/468.html

西行法師の歌は、テキストによって異なる表現があるんですね。解釈の多様性を感じました。

西行の歌には、同じ内容の歌でもテキストによって異なる表現が見られることが多く、その違いが作品の解釈に影響を与える興味深い例が数多く存在します。例えば、散る桜を詠んだ歌では、「たね」と「たれ」、「見て」と「見で」、「風にちる」と「風さそふ」など、一字の違いが歌全体の印象を大きく変える場合があります。これらの違いは、単純な誤記だけでなく、写本や伝承過程での変化、あるいは解釈の多様性を示唆している可能性もあり、鑑賞者それぞれがそれぞれの表現から独自のイメージを膨らませることができると言えます。今回の考察では、これらの違いに着目し、西行の心の変化や当時の状況、そして歌に込められた深遠な意味を解釈することを試みました。ただし、あくまでも個人的な解釈であり、絶対的な正解はないことをご理解ください。西行の歌を鑑賞する際には、このようなテキストの違いに目を向け、自分なりの解釈を楽しむことが大切です。西行の辞世の句「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」は、桜の花の下で春に死にたいという願いを歌ったものです。西行は桜を愛し、多くの作品で桜を詠みましたが、この辞世の句は特に有名です。この句は、西行が桜の花の下で春に亡くなったことを示しており、桜の儚さと人間の命の儚さを対比させています。また、西行が釈迦の命日である旧暦2月15日の満月に亡くなったことからも、自身の死を意識した作品であることがわかります。西行の死因は不明ですが、宗教学者の山折哲雄氏は、西行が釈迦の悟りの境地に近づくため、自身の死を計画的に選んだのではないかと推測しています。西行の辞世の句は、桜と死を結びつけ、人間の命の儚さを深く考えさせる作品となっています。

西行法師の歌は、テキストの違いによって、解釈が大きく変わるものなんですね。それぞれのテキストから、当時の状況や西行法師の心の変化を読み解くことができるのは、非常に興味深いですね。

テキストによって表現が違うってことは、西行法師も結構悩んでたんやろうなぁ。でも、それがまた、西行法師の歌の魅力やねん。

西行法師の歌は、私たちに色々なことを教えてくれるんですね。

西行法師は、桜の花の下で亡くなりたいという願いを持ち、その願い通りに亡くなったという伝説が残っています。彼の歌は、自然への愛情と、人生の無常観が表現され、多くの人に愛されています。

🚩 結論!

💡 西行法師は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した歌人であり、出家前は義清と呼ばれていた

💡 西行法師は、桜の花の下で亡くなりたいという願いを歌に詠んでいた

💡 西行法師の歌は、自然への深い愛情と、人生の無常観が表現されている