高橋是清と高橋財政、日本の経済を救った男はなぜ暗殺されたのか?昭和恐慌からの脱出と二・二六事件!!?
日露戦争の英雄、高橋是清。彼の積極財政政策は日本を恐慌から救ったが、軍事費拡大と対立し暗殺された。戦後インフレの遠因となる高橋財政の光と影とは?
💡 高橋是清は、昭和恐慌の際に、積極的な財政政策によって日本の経済を立て直した人物です。
💡 高橋財政は、金本位制からの離脱、円安容認、軍事と農村救済への資金投入など、当時の状況に合わせて柔軟な政策を実行しました。
💡 しかし、その功績も虚しく、高橋は二・二六事件で暗殺されてしまいました。
それでは、最初の章から詳しく見ていきましょう。
高橋是清の功績と高橋財政の展開
高橋是清の財政政策で何が起きた?
景気回復と財政膨張
それでは早速、高橋是清の功績と高橋財政について詳しく説明していただきます。

✅ 高橋財政は、昭和恐慌からの脱出と満州事変への対応を目的とした、1930年代に高橋是清が行った財政政策です。
✅ 高橋財政では、金本位制からの離脱、円為替相場の下落の容認、軍事と農村救済への資金投入という3つの政策が実施されました。
✅ 金本位制からの離脱により、政府は自由にお金を刷ることが可能となり、財政政策を柔軟に行うことが可能になりました。また、円安による輸出促進によって経済活性化を図り、満州事変への対応として軍事費を増やすことも可能にしました。
さらに読む ⇒モチオカの社会科マガジンα|中高の社会科をマスターしよう!出典/画像元: https://social-studies-magazine.com/history-takahashi-financeなるほど、分かりやすく説明していただきありがとうございました。
高橋財政は、まさに戦前の日本経済にとって重要な転換点だったんですね。
高橋是清は、日露戦争の戦費調達で功績を挙げ、その後日銀総裁、蔵相、首相まで務めた人物です。
1931年12月に再び蔵相に就任した彼は、円安放置政策、日銀引受による国債発行、低金利政策を柱とする高橋財政を展開しました。
この政策により国内景気は回復し、経済成長率は7%程度に達しました。
しかし、軍事費拡大によって財政は膨張し、高橋は財政の抑制に取り組み始めました。
ええ、高橋是清は、日本の経済史に大きな足跡を残した人物と言えるでしょう。
高橋是清の暗殺と積極財政政策の影響
高橋是誰?為何遇害?
日本財務大臣,因削減軍費
それでは、二・二六事件の詳細について解説していただきます。

✅ 二・二六事件は、日本の近代史に以下の3つの影響を与えたと考えられます。
✅ まず、天皇陛下を含む上流階級に、下級軍人の叛乱に対する恐怖を植え付けました。これは、軍隊の実権が少尉や中尉などの若手将校に握られているという事実を浮き彫りにし、上層部の権威と統制力の弱体化を示したからです。
✅ 次に、高橋是清の暗殺は、日本の経済政策に大きな影響を与えました。高橋は、金融緩和や財政政策を通じて、深刻な不況から日本経済を回復させていましたが、彼の経済手腕は若手将校には理解されず、軍事的観点からのみ評価されてしまいました。結果として、日本の経済成長を阻害する要因となりました。
さらに読む ⇒テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義(10MTVオピニオン)出典/画像元: https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=954高橋是清が暗殺されたことは、日本の経済政策に大きな影響を与えたんですね。
1936年度予算では、軍部からの更なる軍事費要求と国債減額を巡り対立が激化し、高橋は軍部の反発を招き、二・二六事件で暗殺されました。
高橋は、積極的な財政政策を実行し、公共事業や軍事に投資することで、日本を世界恐慌から脱却させました。
しかし、軍事費の削減を図ったことで、陸軍青年将校に暗殺されてしまいました。
そうやな。高橋財政は、日本の経済を立て直すための重要な政策やったんやけど、軍部の反発を受けてしまったんや。
高橋財政の目指すものと課題
高橋財政はどんな目的で始まった?
不況脱出
それでは、高橋財政の目指すものと課題について解説していただきます。
公開日:2021/12/17

✅ 高橋是清は、昭和恐慌の際に管理通貨制への移行を断行し、金輸出再禁止、赤字国債発行による市場への貨幣供給などを行い、恐慌脱出に成功しました。
✅ しかし、その政策は円の大暴落による輸出拡大と輸入価格の上昇をもたらし、日本経済の欧米依存度を高めるという副作用も生み出しました。
✅ 一方で、円安による輸出拡大は当時の日本産業の構造改革と相まって、日本製品の国際競争力を高め、世界市場への進出を加速させました。
さらに読む ⇒ 日本近現代史のWEB講座出典/画像元: http://jugyo-jh.com/nihonsi/%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E5%8F%B2%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E8%AC%9B%E5%BA%A7/%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9%EF%BD%9E%E8%AC%9B%E5%BA%A7%E6%B4%BE%E3%81%AE%E9%81%BA%E7%94%A3/%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E8%84%B1%E5%8D%B4%E3%81%A8%E9%AB%98%E6%A9%8B%E8%B2%A1%E6%94%BF%E3%81%AE%E5%8A%9F%E7%BD%AA/なるほど、高橋財政は、日本経済の欧米依存度を高めるという副作用もあったんですね。
高橋財政は、1932年以降の深刻な不況脱出を目指したケインズ的な政策でしたが、軍事費拡大が主な財政支出拡大要因となり、放漫財政とも呼ばれました。
当初は、景気対策として有効需要の拡大を図り、財政支出拡大による経済活性化を目指していましたが、軍事費の拡大がその最大の要因となり、放漫財政とも呼ばれました。
はい、高橋財政は、当時の日本にとって必要な政策ではありましたが、同時にリスクも孕んでいたことを理解することが重要です。
高橋財政の転換と軍部との対立
高橋は、財政拡大と軍部との対立でどんな結末を迎えたか?
暗殺された
それでは、高橋財政の転換と軍部との対立について解説していただきます。

✅ 二・二六事件の経過を詳細に追跡し、事件を起こした青年将校たちの目的とした「昭和維新」「尊王攘夷」の思想を分析する。
✅ 軍隊の統帥権意識に着目し、昭和初期の農村の疲弊や軍部と政治の癒着といった社会状況との関連性を明らかにする。
✅ 改訂版では、日本軍隊の特性である「命令・服従」について、より詳しく解説を加えている。
さらに読む ⇒中央公論新社出典/画像元: https://www.chuko.co.jp/shinsho/1994/02/190076.html高橋は、財政拡大のリスクを認識していたんですね。
高橋は、財政拡大のリスクを認識し、1934年には財政膨張の抑制と国債増額の是正に取り組み始めました。
しかし、軍事費拡大を強引に要求する軍部との対立は深まり、1935年には軍部予算を削減する案を実行しようとした結果、陸軍の恨みを買い、二・二六事件で暗殺されました。
ええ、高橋は、日本の経済を安定させたいという強い意志を持っていたんです。
高橋財政のリスクとその後
高橋財政はどんなリスクを抱えていた?
軍事費拡大、信用膨張、金融引き締め困難
それでは、高橋財政のリスクとその後の影響について解説していただきます。
公開日:2012/10/25

✅ 日本経済は戦後最悪の不況に陥っており、政府は財政支出増による対策を実施しているが、雇用問題の深刻化は避けられない。
✅ 深刻な経済危機を克服するためには、政府が考えるよりも大胆なリフレーション政策(リフレ政策)が必要である。
✅ 過去の「量的緩和」は、日銀が目標とした貨幣ストックの増加ではなく、一定の日銀当座預金残高の維持であり、リフレ政策とは言い難かった。日銀は実際には「ゼロインフレ」を目指しており、リフレ政策に消極的である。
さらに読む ⇒ 東洋経済オンライン出典/画像元: https://toyokeizai.net/articles/-/10439?display=b高橋財政は、戦後のハイパーインフレの原因になってしまったんですね。
高橋財政のリスクとしては、軍事費拡大による財政拡大、日銀による国債引受による信用膨張、金融引き締め政策の実行の困難さなどが挙げられます。
日銀による国債引受は、金融緩和策とともに、金利の先安予想を強め、国債価格の上昇予想を背景にした国債の売りオペを通じての市中消化を円滑に行うことを可能にしました。
しかし、この政策は、金利の引き上げを困難にし、経済状況が悪化すると、すべての歯車がうまく回らなくなる可能性も孕んでいました。
結果的に、高橋財政は戦後のハイパーインフレの原因となり、政府債務はそのハイパーインフレと預金封鎖により国民の金融資産を吸い上げて返済されることになりました。
そうやな、高橋財政は、当時の日本にとっては必要な政策やったけど、後になって思わぬ副作用が出てしまったんや。
高橋是清と高橋財政について、詳しく解説していただきました。
ありがとうございました。
💡 高橋財政は、昭和恐慌からの脱出に大きく貢献しましたが、軍事費拡大による財政拡大や日銀による国債引受による信用膨張など、リスクも孕んでいました。
💡 高橋は、二・二六事件で暗殺され、日本の経済政策は大きく転換することになります。
💡 高橋財政は、日本の経済史において重要な政策でしたが、同時に、政治と経済の複雑な関係や、軍部の影響力を改めて認識させるものでした。