横尾忠則の芸術世界は死と隣り合わせ?戦争体験と「死んだふり」とは!?
💡 横尾忠則さんは、戦争体験が自身の作品に深く影響を与えている。
💡 横尾忠則さんは、独特の表現技法とキャラクターを用いることで、現代的な解釈を加えた作品を制作している。
💡 横尾忠則さんは、絵画を通して、人間の生死や芸術のあり方について考えさせられる。
それでは、横尾忠則さんの生い立ちから見ていきましょう。
横尾忠則の生い立ちと死への意識
横尾忠則さんの戦争体験は、彼の作品世界を理解する上で重要なポイントですね。
✅ 横尾忠則さんは、自身の戦争体験が作品に反映されていると語っています。特に、空襲で真っ赤に染まった夜の空や、戦闘機との遭遇で「死に直面し、同一化する状態」を経験したことが、赤い色彩や戦争モチーフを作品に取り入れるきっかけになったと説明しています。
✅ 横尾忠則さんは、戦争体験が自分の中に深く染みついているため、意識的に戦争をテーマに作品を描いているわけではないと述べています。むしろ、考える前に身体が恐怖を体験した結果、絵に戦争のイメージが現れるのだといいます。
✅ 横尾忠則さんは、戦争の解決には個人の魂の向上が必要だと考えています。自身は絵を描く際に言葉や観念を排除し、無の状態を目指していることを明かし、社会全体が考えることを強制することに疑問を呈し、自分らしく生きることを重要視しています。
さらに読む ⇒東京新聞 TOKYO Web出典/画像元: https://www.tokyo-np.co.jp/article/351059戦争体験が、どのように作品に反映されているのか興味深いですね。横尾忠則さんの作品は、見ているだけで心が揺さぶられます。
横尾忠則は、1936年に兵庫県で生まれ、幼少期は養父母のもとで自然豊かな環境で育ちました。戦時中の空襲や廃墟の風景など、死と隣り合わせの経験が彼の作品世界の根幹を形成する重要なテーマとなりました。特に、終戦間際に体験したグラマン戦闘機の襲撃は、死を意識しただけでなく、社会に向かう扉が開かれた出来事だったと語っています。幼い頃は絵を描くことに模倣という側面が強く、独自の表現を生み出そうという意識はありませんでした。しかし、高校時代に武蔵野美術学校出身の教師の影響で油絵を始めるようになり、将来は挿絵画家や漫画家になることを夢見ていました。彼の作品世界には、幼少期の経験から生まれた死に対する恐怖と興味、それに加えて、物事を両面で見るという独特な視点が反映されています。また、実父が夢遊病者だったという記憶は、愛情と恐怖を同時に抱いていたことを示唆しています。
ええ、横尾さんの作品は、戦争体験の影が色濃く反映されているように感じますね。特に、赤い色彩や戦争モチーフが印象的です。
戦争体験って、ホンマに人生を変えまっせ。横尾さんの作品には、戦争の悲惨さだけでなく、人間の心の強さを感じますわ。
戦争体験が作品に影響を与えているのは、とてもよく分かります。戦争を知らない世代の私でも、横尾さんの作品から、戦争の恐ろしさを想像できます。
横尾忠則の芸術活動と「寒山百得」シリーズ
横尾忠則さんの芸術活動は、多岐にわたっていますね。
公開日:2023/11/12
✅ 「横尾忠則 寒山百得」展は、87歳の横尾忠則氏が約1年半で描き上げた100点を超える新作を展示する展覧会です。唐代の伝説的な詩僧、寒山と拾得をモチーフに、現代的な解釈を加え、巻物をトイレットペーパー、箒を掃除機などに置き換えるなど、自由奔放な表現が特徴です。
✅ 本展では、マネの「草上の昼食」など、先人の名画のパロディーや、スポーツ、映画、文学などのモチーフも登場し、横尾氏らしい多様な要素が盛り込まれています。また、キャプションは制作年月日しか記載されておらず、鑑賞者は作品から自由に解釈を楽しむことができます。
✅ 東京国立博物館では、本展に合わせて「特集 東京国立博物館の寒山拾得図」も開催され、中国や日本で過去に描かれた寒山と拾得の作品を鑑賞できます。横尾氏の作品と合わせて鑑賞することで、寒山と拾得の歴史的な背景や絵画史における文脈を理解することができます。
さらに読む ⇒美術展ナビ出典/画像元: https://artexhibition.jp/topics/news/20230912-AEJ1582234/寒山百得シリーズは、横尾忠則さんの斬新な表現が詰まった作品群ですね。伝統的なモチーフを現代的な解釈で表現しているのが興味深いです。
横尾忠則は、1950年代からグラフィックデザイナーとして活躍し、唐十郎や寺山修司といった舞台芸術のポスターなどで国内外で高く評価されてきました。87歳を迎えた現在も旺盛な創作意欲を維持しており、上野の東京国立博物館表慶館で開催されている個展では、102点の新作「寒山百得」シリーズを発表しています。このシリーズは、中国・唐時代の詩僧である寒山と拾得をモチーフに、横尾独自の解釈で再構築したもので、それぞれの作品が異なるスタイルで描かれています。横尾は、このシリーズを制作するにあたり、アスリートのように感覚的に、言葉や観念を排除して制作したと語っており、自由で脱俗的な寒山と拾得の姿を、現代的な解釈で表現しています。彼の創作は、伝統的な画題と現代的な要素を融合させ、自由な発想と多様な表現技法によって、新たな世界を創造しています。横尾忠則は、2023年度文化功労者に選出された画家であり、87歳になった今も精力的に創作活動を続けています。2023年には、東京国立博物館表慶館での個展「横尾忠則寒山百得」展や、自身の老いと病、描く日々について綴った著書『時々、死んだふり』『死後を生きる生き方』を発表しました。
横尾忠則さんは、グラフィックデザイナーとしても活躍されており、現代美術の巨匠として、高い評価を受けていることは素晴らしいですね。
102点の新作って、すごい数やなぁ!横尾さん、ホンマにパワフルやな。
寒山百得シリーズは、初めて知りました。伝統的なモチーフを現代風にアレンジされているのが、とても新鮮です。
「寒山百得」シリーズの制作手法とキャラクター
横尾忠則さんの制作手法は、独特ですね。
✅ 「横尾忠則 寒山百得」展は、現代アートの巨匠・横尾忠則氏が、コロナ禍の3年間で制作した新作102点による展覧会です。
✅ 中国・唐時代の詩僧「寒山」と「拾得」の脱俗の境地を独自の解釈で再構築し、絵画を通して時空を超えた物語を表現しています。
✅ 100点を超える作品は、百面相のように異なる印象を与え、87歳を迎えた横尾氏の゛今゛を感じることができる展覧会となっています。
さらに読む ⇒GOETHEゲーテ出典/画像元: https://goetheweb.jp/lifestyle/art/20230911-tadanori-yokoo寒山と拾得というキャラクターが、とても魅力的です。横尾忠則さんの作品は、見ているだけで楽しい気分になります。
「横尾忠則寒山百得」展では、寒山拾得という主題を固定しながらも、描き方を日々の気分で変化させていくという独特な手法が用いられています。横尾氏自身は、この変化を「今日の気分と明日の気分は違うから、今日の描き方と明日の描き方が変わっても、むしろ自然じゃないか」と表現し、絵画制作を日々の食事に例えています。同展では、寒山と拾得という二人のキャラクターが、持物以外には特に決まったキャラクターが与えられていないにもかかわらず、二人組であることで混ざったり遊びあったりする動きや展開を生み出しています。この二人は、一人の人間の二重人格、分身、裏表と捉えることもでき、西洋的な二元論ではなく、東洋的な一元的な裏表の世界観を表しているとも考えられます。
横尾忠則さんの作品は、見ている人の想像力を掻き立てるものが多いですね。
寒山と拾得が、二人組やったら、ホンマにええ感じやな!
寒山と拾得のキャラクターが、とてもユニークで印象に残りました。
「死んだふり」と横尾忠則の創作哲学
横尾忠則さんの創作哲学は、とても興味深いですね。
✅ 横尾忠則氏は、自身の個展「横尾忠則 寒山百得」展において、「寒山拾得」という主題を固定しながらも、その時の気分で描き方が変化していくことを重視している。そのため、一貫した様式を持たず、毎日の食事のように変化する自身の感覚を絵に反映させている。
✅ 横尾氏は、近著『時々、死んだふり』で、老いによる五感の衰えを受け入れ、第六感に身を委ねることを「死んだふり」と表現している。これは、生き物が危険を感じた際に本能的に行う「死んだふり」になぞらえ、自我への執着から離れることを意味している。
✅ 横尾氏は、頭で考えるのではなく、体の感覚に従うことの重要性を強調している。これは、頭で理屈立てたり計画を立てたりするよりも、無意識に働く体の感覚に身を委ねることで、より自然な表現を生み出すことができると考えているためである。
さらに読む ⇒Tokyo Art Beat出典/画像元: https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/tadanori-yokoo-interview-202311第六感に身を委ねるというのは、とても深い考え方ですね。横尾忠則さんの作品は、まさに第六感を刺激されるような感覚です。
横尾氏は、最近の著書『時々、死んだふり』の中で、心筋梗塞を患い、五感が衰える中で第六感に身を委ねるようになった経験について語っています。この経験から、自我への執着から離れることを「死んだふり」と表現し、生き物は皆、身の危険を感じると死んだふりをするように、人間もまた死んだふりをすることで生き延びてきたのではないかと考察しています。横尾氏は、頭で考えるのではなく、体の言うことを聞くことを重視しており、無意識に損得を考える自我を抑制することで、より本能的な創作活動を追求しています。
横尾忠則さんは、自分の感覚を大切にすることを重要視しているんですね。
死んだふりって、ホンマにええ言葉やなぁ。横尾さん、ホンマに哲学的な考え方やな。
横尾忠則さんの言葉は、とても深いです。
横尾忠則の芸術論と作品鑑賞
横尾忠則さんの芸術論は、現代美術のあり方について考えさせられますね。
✅ 「GENKYO 横尾忠則」展は、東京都現代美術館で開催され、愛知県美術館での展示を再構築した、過去最大規模の横尾忠則展です。
✅ 本展では、横尾忠則が長年描いてきた「幻境」の世界を、初期グラフィック作品から新作まで、500点以上の作品を通して体感できます。
✅ 「神話の森へ」「多元宇宙論」「リメイク/リモデル」「越境するグラフィック」「滝のインスタレーション」「地球の中心への旅」という6つの章で構成され、横尾忠則の芸術のダイナミックな展開を紹介する展覧会です。
さらに読む ⇒バイリンガル美術情報誌『ONBEAT』出典/画像元: https://onbeat.co.jp/news/122/横尾忠則展は、ぜひ見てみたいですね。
横尾忠則は、現代美術の文脈や背景を重視する考え方に異を唱え、言語化できない゛芸性゛、゛美゛を追求することが重要であると主張しています。彼の作品は独特な世界観を持ち、多くの注目を集めています。2023年7月には東京都現代美術館で展示会が予定されています。横尾忠則氏は、美術館で絵を見る際に解説文に頼ってしまう悩みに対し、絵の見方は正解がないことを強調しています。絵を理解しようとするのではなく、目で見て感じたままに受け止め、そのときの気分で判断するのが良いと主張しています。絵は「目」で見るものであり、解説文は「頭」で理解すること。絵を「頭」で理解しようとすると、絵を見る機会を奪ってしまうと指摘しています。また、画家もすべてを最初から理解しているわけではなく、いい加減に描いている面があることを認め、見る側も真剣に見る必要はなく、いい加減に見ればいいと述べています。ピカソの絵を例に挙げ、その奇妙な描写を「画家には、美人がこんな顔に見えるのかな」と考えるのではなく、「筆が滑ってこうなってしまったんだ」くらいの気持ちで見れば良いと説明しています。要約すると、絵は正解がないので、自分の感覚を大切にし、自由に見て感じることが重要であるというメッセージと言えます。
横尾忠則さんは、美術館の解説文に頼らないことを重要視しているんですね。
絵は、ホンマに自分の感覚で見て、楽しんだらええねん!
絵を理解しようと頑張りすぎないことが大事なんですね。
横尾忠則さんの作品は、戦争体験、創作哲学、そして芸術論など、様々な要素が詰まっていますね。
💡 横尾忠則さんの作品には、戦争体験が色濃く反映されている。
💡 横尾忠則さんの作品は、独特のキャラクターと表現技法で観る人を魅了する。
💡 横尾忠則さんの作品は、死や生の意味、そして芸術のあり方について考えさせられる。