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日独伊三国同盟は、日本の対米戦争への道を開いたのか?とは!?

日独伊三国同盟は、日本の対米戦争への道を開いたのか?とは!?
📘 この記事で分かる事!

💡 日独伊三国同盟は、日独伊の軍事同盟でした。

💡 三国は、それぞれがヨーロッパまたは東アジアにおける新秩序建設の指導的地位を認め合い、相互に協力することを約束しました。

💡 また、アメリカに対する軍事同盟という側面も持ち合わせていました。

それでは、第一章から詳しく見ていきましょう。

第二次世界大戦勃発と三国同盟の成立

三国同盟の成立は、第二次世界大戦の経過を大きく左右した出来事と言えるでしょう。

🔖 関連記事の要約!日独伊三国同盟/三国軍事同盟
日独伊三国同盟/三国軍事同盟

✅ 1940年9月27日に日独伊三国同盟が締結された。これは、日独伊のそれぞれがヨーロッパまたは東アジアで新秩序建設に関し、指導的地位を認め合い、相互に協力することを約し、アメリカの攻撃に対しては軍事的に協力することを約束した軍事同盟であった。

✅ 三国同盟は、1936年の日独防共協定(翌年イタリアが参加し日独伊防共協定)を基盤としており、反ソ連、反コミンテルンの協力関係から、アメリカの攻撃に対する軍事同盟へと発展した。

✅ 三国同盟は、日独伊がそれぞれヨーロッパまたは東アジアにおける新秩序建設の指導的地位を認め合い、相互に協力することを約束したもので、アメリカに対する軍事同盟という側面も持ち合わせていた。また、三国同盟は日独防共協定を基盤としており、国際状況の変化やそれぞれの国の利害が一致した結果、反ソ連、反コミンテルンの協力関係から、アメリカの攻撃に対する軍事同盟へと発展したと言える。

さらに読む ⇒世界史の窓世界史の窓出典/画像元: https://www.y-history.net/appendix/wh1505-052.html

当時の国際情勢を考えると、三国同盟の成立は必然だったのかもしれませんね。

1939年9月、第二次世界大戦が勃発し、ドイツはフランスを征服。ヒトラーはイギリス本土攻撃を企てますが、チャーチル率いるイギリスの抵抗により頓挫します。ヒトラーはアメリカがイギリスを支援することを警戒し、一方、日本は日中戦争の長期化を打開するため、東南アジア進出を検討していました。フランスやオランダの敗北は、日本にとって東南アジアでの権益獲得の好機でしたが、アメリカとの衝突も懸念されました。このような状況下、日独伊三国の利害が一致し、1940年9月27日、ベルリンで日独伊三国同盟が調印されます。この同盟は、ヨーロッパにおけるドイツとイタリアの「新秩序建設」、大東亜における日本の「新秩序建設」を相互に尊重し、協力することを約したものでした。特に重要なのは、三国いずれかが「ヨーロッパの戦争または日支紛争に参入していない一国」から攻撃を受けた場合、軍事的な手段を含むあらゆる方法で相互に援助するという条項です。この条項は、アメリカを仮想敵国とした軍事同盟であることを示しており、日独伊三国がアメリカとの戦争に備え、協調体制を構築したことを意味しています。

そうですね。第二次世界大戦は、多くの国々に大きな影響を与えました。

まさに、世界史の転換期やったなぁ。

第二次世界大戦は、教科書でしか学んだことがなかったので、実感がわきました。

三国同盟の基盤:日独防共協定から三国同盟へ

日独伊三国同盟は、日独防共協定を基盤として成立したんですね。

🔖 関連記事の要約!日独伊三国同盟
日独伊三国同盟

✅ 日独伊三国同盟は、1940年9月27日にベルリンで締結された日本、ドイツ、イタリア三国間の軍事同盟条約です。日独伊防共協定を強化したもので、日中戦争およびヨーロッパ戦争に参加している三国が、共通の敵に対して協力することを目的としていました。

✅ この同盟は、当初は日本が対ソ連軍事同盟を求めていたことから生まれましたが、ドイツの意向によりイタリアも加わり、最終的には反共産主義を掲げる三国同盟となりました。

✅ しかし、1943年9月のイタリアの無条件降伏、1945年5月のドイツの完全敗北により、日独伊三国同盟は完全に崩壊しました。この同盟は、日本の対米戦争への道を開くなど、歴史的に大きな影響を与えました。

さらに読む ⇒ジャパンナレッジジャパンナレッジ出典/画像元: https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=2237

日独伊三国同盟は、反共産主義という共通の目標を掲げていたんですね。

日独伊三国同盟は、1936年の日独防共協定(翌年、イタリアが参加し日独伊防共協定)という、反ソ連、反コミンテルンの協力協定を基盤として成立しました。日独伊三国は、国際連盟を脱退し、国際世論を無視して軍事力による勢力拡大を目指していたことから、反共産主義という共通の目標を掲げ、連携を深めていきました。しかし、日中戦争の長期化やヨーロッパでのドイツの軍事行動により、三国はより強固な軍事同盟の必要性を感じ、日独伊三国同盟へと発展したのです。

ええ、反共産主義は、当時の世界情勢を考えると、重要な要素だったと言えるでしょう。

そうやなぁ、当時の世界は、共産主義と資本主義が対立しとったもんなぁ。

共産主義って、歴史の授業で習ったんですけど、よくわかりません。

三国同盟の成立:それぞれの思惑と利害関係

三国同盟は、それぞれの国の思惑と利害関係が一致して成立したんですね。

🔖 関連記事の要約!日独伊三国同盟』はなぜ締結されたのか?わかりやすく整理しました
日独伊三国同盟』はなぜ締結されたのか?わかりやすく整理しました

✅ 日独伊三国同盟は、日本、ドイツ、イタリアの三国間で結ばれた軍事同盟で、1940年9月27日に締結されました。この同盟は、ドイツとイタリアのヨーロッパにおける「新秩序建設」と日本の「大東亜」における「新秩序建設」を相互に承認するものでした。

✅ 日独伊三国同盟が結ばれた背景には、ソ連を仮想敵国とする日本とドイツの共通認識、そしてドイツのヨーロッパにおける膨張政策がありました。当初はソ連に対抗するため「日独防共協定」が結ばれましたが、その後ドイツとソ連が「独ソ不可侵条約」を締結したことで、日本は同盟関係への期待を大きく損なわれました。

✅ しかし、ドイツ軍のヨーロッパにおける快進撃と、日本国内における「ドイツブーム」が台頭したことで、日独伊三国同盟締結への機運が高まりました。最終的に、第二次近衛文麿内閣によって日独伊三国同盟が成立し、日本は枢軸国の一員として第二次世界大戦に参戦することになりました。

さらに読む ⇒東京歴史倶楽部(トウレキ)|わかりやすい日本史(近代史)のサイト東京歴史倶楽部(トウレキ)|わかりやすい日本史(近代史)のサイト出典/画像元: https://rekishiclub.jp/nichi-doku-i-sangokudoumei/

それぞれの国の事情や思惑が複雑に絡み合っていたんですね。

第二次世界大戦における枢軸国の重要な同盟である『日独伊三国同盟』は、1940年に日本、ドイツ、イタリアによって締結されました。この同盟は、それぞれの国が抱えていた複雑な事情と利害関係から生まれたものでした。日本は、日中戦争でアメリカやイギリスとの関係が悪化し、資源の輸入が途絶える危機に瀕していました。さらに、共産主義の脅威を感じていた日本は、ソ連に対抗する同盟を望んでいました。一方、ドイツは、ヒトラーの東方生存圏構想に基づき、ソ連を敵視しており、東欧への進出を企てていました。イタリアも、共産主義を弾圧し、地中海地域での影響力を拡大しようと意欲的でした。日独伊三国同盟は、これらの思惑が一致した結果、成立しました。特に、ドイツのフランス降伏は、日本にとって大きな影響を与え、同盟締結を加速させた要因となりました。

そうですね。三国同盟は、それぞれの国の思惑が一致した結果、成立したと言えるでしょう。

それぞれの国、みんな自分の都合で動いてたんやろな。

各国がそれぞれの目的のために動いてたんですね。

同盟の綻び:思惑の対立と国際情勢の変化

三国同盟は、それぞれの国の思惑が一致していない部分も多く、後に大きな問題を引き起こしたんですね。

🔖 関連記事の要約!米国を仮想敵とした首相が卒倒「昭和天皇の一言」 太平洋戦争につながる日独伊三国同盟の舞台裏

公開日:2021/12/30

米国を仮想敵とした首相が卒倒「昭和天皇の一言」 太平洋戦争につながる日独伊三国同盟の舞台裏

✅ 1941年12月8日の太平洋戦争開戦のきっかけの1つである日独伊三国軍事同盟締結の舞台裏には、各国の思惑が渦巻いていた。

✅ 1939年9月16日の臨時閣議では、松岡外務大臣が三国条約締結について説明を行い、ドイツからの石油利権獲得やソ連との国交調整のあっせんなど、具体的な利点について話した。

✅ 松岡外務大臣の説明は、具体的な根拠に乏しく、軽薄で無責任であったが、近衛内閣は三国軍事同盟案を承認した。これは、近衛内閣も松岡外務大臣と同様の「共同妄想」に陥っていた可能性を示唆している。

さらに読む ⇒  東洋経済オンライン 東洋経済オンライン出典/画像元: https://toyokeizai.net/articles/-/477357?display=b

三国同盟は、それぞれの国の思惑が一致していない部分が多く、後に大きな問題を引き起こしたんですね。

しかし、この同盟は、それぞれの国の思惑が一致していない部分も多く、後に大きな問題を引き起こすことになります。例えば、日本はドイツとソ連の不可侵条約に驚き、同盟の必要性を疑問視しました。また、アメリカの参戦や日ソ中立条約など、同盟が成立後に発生した出来事が、三国間の関係を複雑化させました。日独伊三国同盟は、第二次世界大戦の経過に大きな影響を与えましたが、結局はそれぞれの思惑の対立や、国際情勢の変化によって、終戦後には崩壊していきました。

そうですね。三国同盟は、それぞれの国の思惑が一致していない部分も多く、後に大きな問題を引き起こしたと言えるでしょう。

結局、みんな自分のことしか考えてなかったんやな。

それぞれの国の思惑が一致してなかったんですね。

三国同盟の目的:アメリカを仮想敵国とした対米政策

三国同盟は、アメリカを仮想敵国として、それぞれの国が対アメリカ政策を進めるために結ばれたんですね。

🔖 関連記事の要約!三国同盟

公開日:2023/09/09

三国同盟

✅ 三国同盟は、1882年にドイツ、オーストリア、イタリアが結んだ軍事的相互援助同盟で、フランスの孤立化を目的としたビスマルク外交の中心的同盟でした。

✅ フランスのチュニジア占領に反発したイタリアがドイツとオーストリアに接近し、同盟が成立しましたが、第一次世界大戦勃発後、イタリアは「未回収のイタリア」獲得を目指し、協商国側と密約を結び、1915年に同盟を離脱しました。

✅ 三国同盟は、フランスの孤立化を図るため、ロシアやオーストリアとの同盟や条約を結びながら複雑な外交を展開したビスマルク外交の象徴的な同盟でしたが、ロシアとオーストリアの対立やイタリアの離脱によって、最終的には崩壊しました。

さらに読む ⇒世界の歴史まっぷ | 世界史用語を国・時代名・年代・カテゴリから検索世界の歴史まっぷ | 世界史用語を国・時代名・年代・カテゴリから検索出典/画像元: https://sekainorekisi.com/glossary/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%90%8C%E7%9B%9F/

三国同盟は、アメリカを仮想敵国として、それぞれの国が対アメリカ政策を進めるために結ばれたんですね。

日独伊三国同盟は、1940年9月27日に日本、ドイツ、イタリアの三国で締結された条約に基づく同盟です。この同盟は、アメリカを仮想敵国として、それぞれの国が対アメリカ政策を進めるために結ばれました。日本の目的は、アメリカの南進政策による干渉を防ぎ、東アジアでの勢力拡大を図るためでした。ドイツは、イギリスへの参戦を躊躇していたアメリカを牽制し、ヨーロッパにおける支配を拡大するために同盟を結びました。イタリアは、地中海地域での覇権を確立し、領土拡大を目指していました。三国は、それぞれが国際秩序を破壊し、新たな世界秩序を構築しようとしていました。しかし、この同盟は、アメリカを刺激し、第二次世界大戦の勃発に大きな影響を与えました。

そうですね。三国同盟は、アメリカを仮想敵国として、それぞれの国が対アメリカ政策を進めるために結ばれたと言えるでしょう。

アメリカを敵に回したらアカンやろ。

アメリカを仮想敵国としていたんですね。

日独伊三国同盟は、国際情勢を大きく変化させた出来事でした。

🚩 結論!

💡 日独伊三国同盟は、1940年9月27日に締結されました。

💡 三国同盟は、ヨーロッパにおけるドイツとイタリアの「新秩序建設」、大東亜における日本の「新秩序建設」を相互に尊重し、協力することを約したものでした。

💡 この同盟は、アメリカを仮想敵国とした軍事同盟であることを示しており、日独伊三国がアメリカとの戦争に備え、協調体制を構築したことを意味しています。