大東亜共栄圏:理想と現実?とは!?
💡 戦後も日本兵が中国で戦っていたという事実
💡 大東亜共栄圏実現のために元日本軍人が様々な活動を行っていたこと
💡 戦後史の裏側を明らかにする貴重な資料が公開されていること
それでは、最初の章へ進んでいきましょう。
戦後日本の裏側:大東亜共栄圏の幻影
大変興味深いお話ですね。戦後史の裏側について詳しく教えてください。
✅ 本書は、1949年の中国・山西省で日本兵がまだ戦っていた事実や、日本に帰国した大本営参謀や軍人、児玉誉士夫らが「大東亜共栄圏」の実現を目指して戦後も活動を続けたという、戦後史の裏面を明らかにした本です。
✅ 具体的には、元日本軍人たちは中国共産党への対抗運動や、日本軍の復活を目的に、アメリカとの協力、政治工作、軍事活動など、さまざまな活動を展開しました。
✅ 本書はこれらの活動が、戦後の東アジア全体に影響を与えたことを、発掘された資料を基に詳細に記述しており、従来の戦後史観に対する新たな視点を与えてくれます。
さらに読む ⇒新潮社出典/画像元: https://www.shinchosha.co.jp/book/610573/戦後史の裏側、というのは、あまり知られていない事実ですね。
1949年以降も中国で戦っていた日本兵や、帰国後も反共活動や日本軍復活のために奔走した元軍人、政治家たちの活動を、CIA文書などの発掘資料に基づき描いた戦後裏面史です。本書は、敗戦後も中国で戦い続けた日本兵、帰国後の元陸軍大佐・辻政信による石原莞爾の理想実現のための工作、宇垣一成による国防再建と秘密機関設立、児玉誉士夫による天皇制保持のための戦いを中心に、アメリカとの関係、警察予備隊の設立、朝鮮戦争への関与など、当時の日本における政治、軍事、社会の動きを追っています。本書は、戦後史における「平和憲法」や「戦後日本」のイメージとは異なる側面を浮き彫りにし、当時の日本の複雑な状況と、その後の日本の歴史への影響を考える上で重要な視点を与えてくれる一冊です。
ええ、戦後も日本兵が中国で戦い、そして、大東亜共栄圏の実現を目指していたというのは、驚きでした。
へぇ~、知らんかったわ~戦後もそんなことがあったんや!
本当ですか?戦争が終わった後も、こんなことがあったなんて、信じられません。
大東亜共栄圏:理想と現実
では、次は大東亜共栄圏について詳しく解説していただきます。
✅ 「大東亜共栄圏」は、日本が第二次世界大戦中に唱えたアジアにおける共存共栄を目的とした政策構想であり、欧米列強の植民地支配からの解放と日本の盟主による経済圏構築を掲げていました。
✅ この構想は、満洲事変から始まり、日中戦争、太平洋戦争へと発展し、1943年には東京で「大東亜会議」が開催され、「大東亜共同宣言」が採択されました。
✅ 会議には、満州、中華民国、インド、ビルマ、タイ、フィリピンなど、日本の影響下にあったアジア各国の首脳が参加し、日本を中心としたアジア経済圏の樹立を宣言しました。しかし、この構想は、実際には日本の植民地支配とアジア諸国の資源収奪を目的としたものであり、戦争終結とともに崩壊しました。
さらに読む ⇒歴史人 | 歴史の魅力を全力で伝えるエンタメマガジン出典/画像元: https://www.rekishijin.com/29614改めて、大東亜共栄圏について考えさせられますね。
大東亜共栄圏とは、日本がリーダーとなり、東アジア・東南アジアに白人支配を脱した新しい世界秩序を構築しようという思想です。この思想は1940年に第二次近衛内閣によって発表され、1941年から始まる太平洋戦争の大きなスローガンとなりました。大東亜共栄圏の思想は、明治時代からすでに存在しており、日本が列強国と対等な立場になったことで、東アジアのリーダーとして列強国支配からの解放を担うという考え方が強まりました。1910年の韓国併合や第一次世界大戦中の清に対する21か条の要求、1931年の満州事変などがこの思想に基づいています。
大東亜共栄圏は、日本が掲げた理想ではありましたが、現実には植民地支配と資源収奪を目的としたものでした。
なるほど、つまり、大東亜共栄圏って、日本がアジアを牛耳ろうとしてたってことやな!
大東亜共栄圏って、一体どんなものだったんでしょうか?
大東亜戦争:理想の崩壊
続いて、大東亜戦争についてお話をお伺いします。
公開日:2020/06/02
✅ 戦前の日本は、日中戦争・太平洋戦争を遂行する中で、「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」という大義名分を掲げ、東アジア解放をスローガンに掲げました。
✅ 日中戦争では「東亜新秩序」を掲げ、朝鮮と台湾の日本との一体化を図りました。これは、資源不足解消と戦争遂行のための労働力確保を目的としていました。
✅ 太平洋戦争では「大東亜共栄圏」を形成し、東南アジア諸国を支配しました。しかし、資源獲得と支配を目的とした行為は、現地住民の反発と犠牲を生み、最終的には失敗に終わりました。
さらに読む ⇒太平洋戦争とは何だったのか出典/画像元: http://historyjapan.org/colonies-of-japan-2-great-asia-co-prosperity-sphere戦争は、悲しい結果だけを残すものですね。
1938年、日本政府は「東亜新秩序声明」を発表し、東アジアに新しい秩序を構築したいと表明しました。しかし、中国はアメリカの支援を受け、日本との戦争を継続しました。このため、日本は中国への支援物資を遮断するため、東南アジアに進出し、1941年に太平洋戦争が勃発しました。大東亜共栄圏は、日本が掲げた理想であったものの、実際には日本の植民地支配と侵略を正当化する道具として利用されました。戦争終結後、大東亜共栄圏は崩壊し、日本は敗戦国となりました。
大東亜共栄圏という理想は、戦争によって崩壊し、多くの犠牲者を生み出してしまいました。
戦争って、ホンマにアカンやつやな。
戦争の悲惨さを改めて感じました。
大東亜共栄圏:誕生と挫折
では、大東亜共栄圏の誕生と挫折について詳しく解説していただきます。
✅ 「大東亜共栄圏」は、第二次世界大戦中に日本が提唱した、アジアの支配を目的としたイデオロギーであり、日本の侵略行為を正当化する偽善的な概念であった。
✅ 「大東亜共栄圏」は、日本の資源不足と、中国との長期戦による疲弊を背景に、東南アジアの資源獲得を目的に提唱された。
✅ 日本は「大東亜共栄圏」を実現するために、東南アジア諸国を侵略し、占領したが、占領地の人々には共通の繁栄はもたらされず、むしろ虐殺や経済的搾取などが行われた。最終的に、日本の敗戦によって「大東亜共栄圏」は崩壊した。
さらに読む ⇒株式会社環境総合研究所(東京都目黒区)オフィシャルサイト出典/画像元: https://eritokyo.jp/independent/Japans-Daitoa-kyoueiken-inAsia-%20ao3016.html大東亜共栄圏は、日本の資源不足と、中国との長期戦による疲弊を背景に生まれたんですね。
1930年代の世界恐慌を背景に、欧米列強は植民地支配を拡大し、経済圏を築こうとしていました。日本も満州国を植民地支配し、経済圏を拡大しようとしましたが、日中戦争の泥沼化によって、その手段は行き詰まりました。そこで、石油確保のため、イギリスやフランス、オランダが植民地支配する東南アジアに目を向け、経済圏を拡大しようとしました。これが大東亜共栄圏の発想の起源です。1941年、アメリカが日本の侵略を阻止しようと、日本に全兵力撤退を要求した結果、日本は真珠湾攻撃を行い、アメリカとの戦争に突入します。この戦争の目的として掲げられたのが、大東亜共栄圏の理念でした。大東亜共栄圏は、日本・満州・中国を基盤とし、将来はオセアニア諸国、フランス領インドシナ、オランダ領東インドもその範囲に含める計画でした。しかし、日本の敗戦により、この理念は実現せず、終戦後には姿を消しました。
大東亜共栄圏は、日本の侵略行為を正当化する偽善的な概念でした。
つまり、大東亜共栄圏って、戦争の言い訳やったってことやな!
戦争って、本当に恐ろしいものですね。
大東亜共栄圏:アジアの夢と現実
最後は大東亜共栄圏がアジアにもたらした影響について解説していただきます。
公開日:2017/03/18
✅ 日本軍はシンガポールなど東南アジアを占領し、中国系住民に対する虐殺を行い、その多くが犠牲になりました。シンガポールでは巨大な「血債の塔」が建てられ、犠牲者を悼んでいます。シンガポールでは戦争博物館の名前として「昭南」が提案されましたが、日本統治時代の苦痛な記憶を呼び起こすとして、別の名称に変更されました。
✅ 日本は東南アジアへの進出を「大東亜共栄圏」建設と称し、欧米列強からの解放を掲げていましたが、実際には石油などの資源獲得が目的でした。現地住民を労働力として徴用し、「ロウムシャ」として厳しい労働を強い、賃金代わりに流通しない「軍票」を渡した結果、強制連行が行われました。
✅ インドネシア・ジャワ島からは15~30万人が強制的に徴用され、厳しい労働に従事させられ、その90%が帰国できませんでした。東南アジアでは日本軍による残虐行為や強制労働の実態が明らかになり、多くの犠牲者が出ました。戦争は終わったとしても、その悲惨な歴史は忘れられず、被害を受けた人々の記憶は深く刻まれていることを示しています。
さらに読む ⇒ 日本近現代史のWEB講座出典/画像元: http://jugyo-jh.com/nihonsi/jha_menu-2-2/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%EF%BC%88%EF%BC%92%EF%BC%89-%EF%BD%9E%E3%80%8C%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%85%B1%E6%A0%84%E5%9C%8F%E3%80%8D%E5%BB%BA%E8%A8%AD/戦争の悲惨さは、今もなお、アジアの人々に深く刻まれているんですね。
大東亜共栄圏は、第二次世界大戦中の日本が唱えた対アジア政策構想です。日本は、欧米帝国主義からアジア諸国を解放し、日本を盟主とした共存共栄の経済圏を築くことを目指しました。この構想は、1931年の満洲事変後の「日満一体」から始まり、1940年の「東亜新秩序」を経て、1941年の大東亜戦争勃発後、本格的に推進されました。1943年には、日本の占領地域で「独立」させた大東亜共栄圏内各国首脳が東京に集まって大東亜会議を開催し、大東亜共同宣言が採択されました。しかし、大東亜共栄圏は、日本の支配と資源搾取を目的としたものであり、アジア諸国の独立や共存共栄とは程遠いものでした。最終的に、日本は敗戦し、大東亜共栄圏は崩壊しました。
東南アジアでは、日本軍による残虐行為や強制労働の実態が明らかになり、多くの犠牲者が出ました。
戦争って、ホンマにアカンやつやな。
戦争によって、たくさんの人が苦しんだんですね。
本日は大東亜共栄圏について、様々な側面からご紹介しました。
💡 戦後も日本兵が中国で戦っていたという事実
💡 大東亜共栄圏は、日本の植民地支配と資源収奪を目的としたものだった
💡 戦争は、多くの犠牲者を生み出し、悲惨な結果だけを残す