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湯殿山信仰の即身仏?とは一体…!?

湯殿山信仰の即身仏?とは一体…!?
📘 この記事で分かる事!

💡 湯殿山信仰は、山形県の出羽三山の一つ、湯殿山を信仰の中心とする宗教です。

💡 湯殿山信仰では、即身仏と呼ばれる、生きたまま土中に入り亡くなった修行者の遺体が崇拝されています。

💡 即身仏は、日本各地に存在しますが、特に山形県には多く、その歴史と背景を知ることは、日本の文化理解に役立ちます。

それでは、最初のテーマ、湯殿山信仰と即身仏について詳しく見ていきましょう。

湯殿山信仰と即身仏

湯殿山信仰と即身仏、歴史的背景や宗教的な意味合い、そしてその実態…、どれも興味深いですね。

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公開日:2023/07/01

即身仏:厳しい修行の果てに涅槃(ねはん)を目指したミイラ仏 ...

✅ 湯殿山信仰の拠点寺院に安置されている即身仏は、江戸時代に湯殿山信仰と天台宗との対立の中で、宗教的布教活動を行うために一世行人が厳しい修行を行い、その遺体が即身仏として崇拝されるようになった。

✅ 即身仏となった一世行人は、木食行や仙人沢での籠もり修行など、厳しい修行を行ったとされ、その中でも特に冬場の修行は厳しく、温泉ドームから湧き出る熱湯で暖をとっていたという。

✅ 近年では、医学的な調査により、ほとんどの即身仏は死後に加工が施されていたことが判明し、土中入定伝説は伝承である可能性が高いことが明らかになった。即身仏となった一世行人は僧侶ではなく、修験者と同じく惣髪で、結袈裟を身につけることはできなかった。

さらに読む ⇒nippon.comnippon.com出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02008/

厳しい修行の数々、そしてその背景にある宗教的な思想…、深く考えさせられますね。

湯殿山信仰は、山形県の出羽三山の一つである湯殿山を信仰の中心に据えたもので、その拠点寺院には、即身仏と呼ばれるミイラ化した修行者の遺体が安置されています。即身仏は、南北朝時代から仏として崇拝されており、日本各地に現存しています。湯殿山信仰は、真言宗の開祖である弘法大師空海の影響を受け、特に真言宗寺院で護持されています。山形県内には、庄内地方に6体、置賜地方に2体の即身仏が安置されており、多くは「海」の号が入っていることから、空海の名にあやかったと推測されます。湯殿山は、温泉の湧き出る巨岩を御宝前として崇められており、江戸時代には、天台宗と真言宗の対立が深まりました。真言宗は、湯殿山で一世行人を修行させ、宗教的能力を体得させ、布教の前線で活動させて天台宗に対抗しました。一世行人は、厳しい修行を行い、生きたまま棺に入り、土中に埋められて即身仏になったとされています。しかし、1960年代の調査で、ほとんどの即身仏には死後の人工的な加工が施されていたことが判明しました。湯殿山で宗教活動をした集団には、真言宗の僧侶、当山派の修験者、一世行人がおり、それぞれ異なる修行と布教活動を行っていました。

そうですね。湯殿山信仰は、修験道と密接な関係があり、厳しい修行を通じて悟りを開こうとした信仰です。即身仏は、その信仰の極みと言えるでしょう。

ほぉー、つまり、生きたまま土中に入ったら、そのまま仏さんになっちゃうってことですか?

即身仏、すごいですね…想像を絶する修行ですよね。

鉄門海上人と即身仏の起源

鉄門海上人の功績は、本当に素晴らしいですね。地域の人々への貢献ぶりは、まさに信仰の力を感じます。

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✅ この記事は、湯殿山注連寺に安置されている「鉄門海上人」と呼ばれる行者の神様について紹介しています。

✅ 鉄門海上人は、21歳で仏門に入り湯殿山で修行を始め、東北を中心に195個もの碑が残されているほど、多くの地域で活躍しました。

✅ 具体的な例として、加茂坂峠の道作り、秋田での新田開発、ケダニ退散祈祷、庄内のタコ漁の仕掛け指導など、地域社会に貢献した数々の功績が紹介されています。

さらに読む ⇒ドラぷら(NEXCO東日本)ドラぷら(NEXCO東日本)出典/画像元: https://www.driveplaza.com/trip/michinohosomichi/ver102/04.html

東北各地に碑が残されているという事実が、鉄門海上人の影響力の大きさを物語っていますね。

湯殿山の即身仏の中で最も有名なのは、山形県鶴岡市の注連寺に祀られている鉄門海上人です。彼は、民衆の支持を集め、東北各地から蝦夷地にまで布教活動を行い、新たな信者を獲得しました。即身仏とは、厳しい修行の末にミイラ化し、生きたまま土中に入り絶命した僧侶のことです。平安時代から明治時代初期にかけて、多くの僧侶が即身仏となる修行を行いました。即身仏は、自然の力を借りて体が残るように修行された末に完成した仏様であり、レントゲンで撮影した結果、臓器もそのまま残されていることが確認されています。即身仏の特徴は、ミイラのような様相、法衣をまとっていること、そして東北地方に集中していることです。即身仏は、衆生を救うことを目的に、自ら命を投げ打った僧侶の意思と信仰の厚さを表しています。

鉄門海上人は、湯殿山信仰の重要な人物で、東北地方の文化発展に大きく貢献しました。彼の生き様は、多くの人々に影響を与え、信仰の対象として崇められています。

えー、ケダニ退散の祈祷とか、タコ漁の仕掛けの指導とか、めっちゃ幅広いな!

鉄門海上人、すごいですね…色々な場所で活躍されていたんですね。

即身仏と即身成仏

鉄門海上人や真如海上人、それぞれの生き様は、宗教的な思想を反映しているように感じますね。

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✅ この記事は、即身成仏行を行った修験者の「鉄門海上人」と「真如海上人」のミイラについて、その歴史や修行の様子、そして即身成仏行の意味を解説しています。

✅ 鉄門海上人は、武士と争い注連寺に逃げ込み、その後、遊郭との関係を断つために睾丸を切り取り、女性に渡すなど、波乱万丈な人生を送った後、62歳で即身仏となることを決意し、3000日の修行を経て入定しました。

✅ 真如海上人は、武士を殺してしまい、大日坊に助けを求め、その後、96歳で即身仏となりました。彼の入定の様子は、弟子との連絡用と空気穴の役割を果たす竹筒を通して、地上から見守られていたことが詳しく記されています。

さらに読む ⇒現代ビジネス | 講談社 @gendai_biz現代ビジネス | 講談社 @gendai_biz出典/画像元: https://gendai.media/articles/-/86500?page=1&imp=0

修行の詳細や入定の様子は、本当に興味深いです。当時の信仰の熱心さが伝わってきます。

即身成仏とは、修行の末にこの世にいたまま悟りを開く思想であり、即身仏とは異なります。即身仏は体、即身成仏は思想です。海外では、日本の即身仏に対し強い興味を示しており、献身的、自己犠牲といった声がある一方で、興味深い、アメージング!といった意見も見られます。この記事は、日本の伝統的な修行法である即身仏について解説しています。即身仏とは、仏道の修行に生涯を捧げた修行者が、生きたまま土中に入り、自らの肉体を永遠に残そうとしたものです。平安時代初期に弘法大師空海が説いた即身成仏という教えが、即身仏志願者に影響を与えたと考えられています。

即身仏は、個々の修行者の生き様と、当時の社会状況が複雑に絡み合った結果生まれたものです。彼らの生き様は、私たちに多くの教訓を与えてくれます。

ええ!?睾丸を切り取って女性に渡した!? なんか、めっちゃ複雑やな、この人。

真如海上人、96歳で即身仏になったってすごい…尊敬します。

即身仏になるための修行

瀧水寺大日坊の真如海上人、厳しい修行を経て即身仏になったとのことですが、その精神は本当にすごいですね。

🔖 関連記事の要約!即身仏「真如海上人」を安置する湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊 ...
即身仏「真如海上人」を安置する湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊 ...

✅ 山形県鶴岡市の瀧水寺大日坊は、弘法大師が開山した寺院で、即身仏「真如海上人」を安置していることで有名です。

✅ 真如海上人は、厳しい修行の末に体内から脂肪や水分を落とし、木食と共に漆の樹液を飲んで腐敗しない体となり、地下3メートルの石室で入定し、天明3(1783)年に96歳で即身仏となりました。

✅ 瀧水寺大日坊では、真如海上人が衣替えをした際に着用していた御衣が入った「即身仏御衣入御守」が、あらゆる災いから身を守ってくれる最強のお守りとして有名です。

さらに読む ⇒即身仏「真如海上人」を安置する湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊 ...即身仏「真如海上人」を安置する湯殿山総本寺 瀧水寺大日坊 ...出典/画像元: https://article.japan-videography.com/dainichi/

漆を飲んで腐敗を防いだり、地下の石室に入定したり…想像を絶する修行ですね。

即身仏になるためには、厳しい修行である木食行と土中入定の2段階を経なければなりませんでした。木食行では、穀物を断ち、草花や木の実だけを食べて体内の水分や脂肪を削ぎ落とす過酷な修行が行われました。土中入定では、木食行で痩せ細った体が死期を迎える前に、山中の石室に生きたまま入り、水と空気以外を断ち絶命するまで修行を続けました。現在、日本国内には17ヶ所に即身仏が祀られており、なかでも山形県鶴岡市の大日坊や本明寺、注連寺などに著名な即身仏がいます。記事では、即身仏に関する歴史、修行方法、有名な即身仏がいる場所などを詳細に解説しています。さらに、即身仏の作り方、失敗した場合、途中で辞めることはできたのか、現在の状況などについても触れられています。

即身仏になるための修行は、肉体だけでなく精神も鍛え抜くものでした。その過程で、彼らは悟りへと近づいていったのでしょう。

3000日も修行? しかも、水と空気だけって! どんだけストイックなんや!

即身仏御衣入御守、最強のお守りなんですね!私も欲しいです!

即身仏の修行と動機

湯殿山系即身仏の多くは、寺の意向によって即身仏になったという側面があるんですね。

🔖 関連記事の要約!山形】湯殿山系即身仏代表 真如海上人

公開日:2012/10/11

山形】湯殿山系即身仏代表 真如海上人

✅ この記事は、山形県の湯殿山系即身仏の代表格である真如海上人について解説しています。

✅ 即身仏は、自ら土中に入り、ミイラ化した僧侶のことですが、湯殿山系即身仏は、厳しい修行と入定を経て、信仰を集めてきました。

✅ 湯殿山系即身仏は、必ずしも高位僧侶ではなく、身分が低く、高齢の僧侶が、寺の意向によって、客寄せパンダとして即身仏になったケースが多かったという側面も指摘されています。

さらに読む ⇒珍奇の沼 −珍スポ×奇祭−珍奇の沼 −珍スポ×奇祭−出典/画像元: https://chinkispot.com/2012/10/11/%E3%80%90%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E3%80%91%E6%B9%AF%E6%AE%BF%E5%B1%B1%E7%B3%BB%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E4%BB%8F%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E3%80%80%E7%9C%9F%E5%A6%82%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E4%BA%BA/

即身仏になる動機は様々ですが、人々の救済という強い思いが共通していると感じます。

即身仏とは、生きたまま仏として悟りを開くのではなく、厳しい修行の末に肉体が腐らずにそのままの姿で仏として残り、人々を救うことを目指すものです。即身仏になるための修行は非常に過酷で、まずは木食行と呼ばれる食事制限を行い、肉や脂肪を落としていきます。その後、漆を飲んで嘔吐を繰り返し、体内の水分を抜きます。さらに、死期が近づくと土中に入定し、暗闇の中で水と食料を断ち、鉦や鈴を鳴らしながら読経を続け、亡くなります。即身仏になる動機は、苦しむ人々を救いたいという強い思いから生まれます。彼らは、自分の身を捧げることで人々に信仰心を抱かせ、救済へと導こうとしたのです。現存する即身仏は17体で、その多くは真言宗の開祖である空海に影響を受けています。特に山形県の湯殿山系の寺院に多く見られることから、古くから修験道の聖地であったことが伺えます。即身仏は、現代人にとって理解しがたい厳しい修行の末、仏として人々の信仰を集めています。彼らの壮絶な生き様は、私たちに死と生について深く考えさせられるものです。

湯殿山系即身仏は、地域社会と密接な関係があり、信仰の対象として大切にされてきました。彼らの生き様は、後世に語り継がれるべきものです。

客寄せパンダって…それはちょっと、なぁ…

即身仏になるための修行って、本当に過酷だったんですね…

今日のテーマは、山形県の湯殿山信仰と即身仏についてでした。即身仏に対する考え方は、時代や文化によって大きく異なると思いますが、彼らの生き様は、私たちに多くの教訓を与えてくれるのではないでしょうか。

🚩 結論!

💡 湯殿山信仰は、即身仏を信仰の中心に据え、厳しい修行を通して悟りを開こうとする宗教です。

💡 即身仏は、生きたまま土中に入り、ミイラ化した修行者の遺体です。

💡 即身仏は、日本各地に存在しますが、その多くは山形県に集中しています。彼らの生き様は、現代人にとっても深い教訓を与えてくれます。