折口信夫の弟子 岡野弘彦は、どんな人生を送ったのか?師弟の絆と歌人としての生き様とは!!?
💡 折口信夫の晩年の生活を、弟子である岡野弘彦が記録した作品を紹介
💡 戦争体験と折口信夫との師弟関係を歌に込めた岡野弘彦の歌人としての生き様を紹介
💡 折口信夫の知られざる一面と岡野弘彦の晩年について紹介
それでは、折口信夫と岡野弘彦の関係性について、詳しく見ていきましょう。
師と弟子の絆 折口信夫の晩年
折口信夫の晩年の姿が目に浮かぶようです。
✅ 本書は、折口信夫の晩年7年間を共に過ごした著者が、彼の日常生活や生き方を克明に描いた追憶の書である。
✅ 折口信夫の「死生観」、師である柳田国男への敬意、コカイン使用による臭覚の変化、薬の調合など、晩年の折口信夫の日常生活を具体的に描写しており、彼の人物像を深く理解する上で貴重な資料となる。
✅ 本書は、折口信夫に全面的薫陶を受けた著者の思いがこめられており、彼の思想や生き方を学ぶ上で最適な入門書と言える。
さらに読む ⇒KUP立ち読みのススメ出典/画像元: http://tachiyomi.keio-up.co.jp/archives/78岡野弘彦さんの丁寧な筆致が、折口信夫先生の生き様を鮮やかに描き出していますね。
1969年に出版された岡野弘彦著『折口信夫の晩年』は、折口信夫の弟子であった岡野弘彦が、師の晩年の生活を詳細に記録した作品です。折口信夫は、晩年には『神道宗教化論』を提唱し、神道の宗教としての側面を重視していました。本書では、折口信夫の日常生活、思想、人となり、そして弟子たちとの関係などが、岡野弘彦の視点を通して描かれています。折口信夫は、美食家であったこと、潔癖症であったこと、そして気まぐれな一面を持っていたことなどが、本書で生き生きと描写されています。岡野弘彦は、折口信夫の弟子として、師の生活を支え、同時に師の思想や生き方に影響を受けました。本書は、折口信夫の晩年の姿を克明に記録した作品であると同時に、岡野弘彦自身の経験と思想が反映された作品でもあります。
岡野弘彦さんの文章は、まるで折口信夫先生の声が聞こえてくるようですね。
へぇ、折口先生ってコカイン使ってたんか?
折口信夫先生って、いろんな面をお持ちだったんですね。
戦火と師の教え 岡野弘彦の歌人としての道
岡野弘彦さんの戦争体験は、今の私たちにも深く考えさせられます。
公開日:2022/06/08
✅ 岡野弘彦さんは、半世紀以上にわたって歌壇を牽引してきた歌人で、戦争体験を題材にした歌を多く発表しています。文化勲章を受章し、斎藤茂吉短歌文学賞を受賞したことを機に、自身の全歌集を出版しました。
✅ 岡野さんは子どもの頃から神主になることを期待されていましたが、折口信夫の歌に出会い、歌人になることを決意し、東京の国学院大学に進学しました。
✅ 岡野さんは戦争体験を歌に込めており、現在のウクライナ侵攻の状況を見て、戦争の悲惨さを改めて痛感しています。また、特攻隊で亡くなった友人への思いも歌に込めています。
さらに読む ⇒朝日新聞デジタル:朝日新聞社のニュースサイト出典/画像元: https://www.asahi.com/articles/ASQ667445Q5CUCVL028.html戦争の悲惨さを改めて感じました。
岡野弘彦氏は、戦争体験と折口信夫との師弟関係、そして歌人としての生き様を語ります。1945年、敗戦の年に兵役についた岡野氏は、東京大空襲を経験し、特攻隊で命を落とした友人を悼みます。終戦後は折口信夫に師事し、国学院大学で短歌を学びました。折口氏の教え「いい歌」とは、定型の中で自然に心に響く、玉のような歌であると語ります。自身も歌人として活動し、国学院大学で教鞭を執り、学生運動が盛んだった時代には、学生たちと直接向き合い、教育者としての信念を貫きました。岡野氏は、歌を日常生活の一部として捉え、「己が身のほろぶる日まで詠みつがむ」という強い意志を表明しています。
戦争と師との出会いが、岡野弘彦さんの歌人としての道を決定づけたんですね。
岡野さん、戦争体験の歌、めっちゃええ歌やと思うで!
特攻隊って、どんな気持ちだったんだろう…。
師の個性 折口信夫の知られざる一面
折口信夫先生と弟子たちの関係は、本当に深いですね。
✅ 本書は、折口信夫の最後の弟子である岡野弘彦氏が、師との貴重な思い出を綴った著作である。師の晩年の姿を、講義の様子や対話を通して克明に描き、折口信夫の人物像、思想、文学への情熱を深く伝えている。
✅ 特に、折口信夫が口述筆記で著作を完成させていく様子や、弟子である岡野弘彦氏との密接な師弟関係は、読み手の心を惹きつける。師は、若き弟子に自身の知識や思想を惜しみなく伝え、弟子はそれを真剣に受け止め、師の言葉を記録していく。二人の間には、世代を超えた深い信頼と強い絆が感じられる。
✅ また、折口信夫が文学報国会の席で、軍部と激しく対決したエピソードや、その独特の個性とカリスマ性、そして弟子たちの愛情と敬意が、本書の中で生き生きと描かれている。折口信夫という稀代の天才が、どのようにして時代を生き抜き、後世に影響を与えてきたのか、その一端に触れることができる貴重な資料となっている。
さらに読む ⇒NEWSポストセブン出典/画像元: https://www.news-postseven.com/archives/20191018_1465713.html?DETAIL折口信夫の個性が、岡野弘彦さんの文章から伝わってきます。
折口信夫は、終生妻を持たず、愛弟子に囲まれて生涯を終えた民俗学の巨星でした。弟子との年齢差は大きく、祖父と孫の関係に近いと言えます。岡野氏は、折口氏の講義や講演の口述筆記を担当し、『万葉集』『古今集』『新古今集』の名歌に没頭する時間を過ごしました。折口氏は、文学報国会の席で、高級将校と激しく対決し、軍部の誤った情報操作を批判したことで知られています。その一方で、所作は優しく見えたものの、怒ると不動明王のような相貌となり、額の青痣が焔のように燃えたという逸話も伝わっています。
折口信夫先生の文学報国会でのエピソードは、興味深いです。
折口先生って、怒ると怖い顔になるんやね!
弟子たちから愛されていたんですね。
歌人としての歩み 岡野弘彦の晩年
岡野弘彦さんは、本当に素晴らしい人生を送られましたね。
公開日:2021/12/03
✅ 2021年11月3日、皇居・宮殿「松の間」にて文化勲章授与式が行われ、岡野弘彦さん、川田順造さん、長嶋茂雄さん、尾上菊五郎さん、絹谷幸二さん、森重文さんら6名が天皇陛下から勲章を授与されました。
✅ 真鍋淑郎さん、岡崎恒子さんは欠席、牧阿佐美さんは事前に逝去されました。
✅ 授与式後、岡野弘彦さんが代表で挨拶し、歌を詠んで喜びを表現。天皇陛下は受章者一人一人に歩み寄り、激励の言葉をかけられました。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20211103/k00/00m/040/127000c文化勲章を受章された岡野弘彦さん、おめでとうございます。
岡野弘彦氏は、宮中新年歌会始の選者となり、戦後から変化していく天皇皇后の和歌を紹介しています。本書では、岡野氏が神主を継ぐべきか歌人として生きるかの葛藤や、戦後、自らの人生と向き合い、「かなしい村」について告白する姿が描かれています。岡野弘彦さんは、100歳を目前に迎え、歌人としての活動を続けています。長年、宮中歌会始の選者や宮内庁御用掛を務め、皇室との深い関わりを持っていました。95歳までは伊豆の海が見える家に住んでおり、日々、大島を眺めながら歌を詠むことに幸せを感じていました。現在は東京都内の高齢者住宅で、静かに歌と向き合っています。
岡野弘彦さんは、歌人としてだけでなく、教育者としても素晴らしい功績を残されました。
岡野さん、すごいなぁ!天皇陛下から勲章もらうって!
歌人って、すごいですね。
折口信夫と岡野弘彦の関係性、そして岡野弘彦さんの歌人としての生き様をご紹介しました。
💡 折口信夫の晩年の生活と弟子である岡野弘彦との師弟関係を紹介
💡 戦争体験と折口信夫との師弟関係を歌に込めた岡野弘彦の歌人としての生き様を紹介
💡 折口信夫の知られざる一面と岡野弘彦の晩年について紹介