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天理教ってどんな宗教?創始者や教え、そして聖地『ぢば』について解説!とは!?

天理教ってどんな宗教?創始者や教え、そして聖地『ぢば』について解説!とは!?
📘 この記事で分かる事!

💡 天理教は、19世紀に中山みきによって創始された日本発祥の宗教です。

💡 教祖である中山みきは、親神様の教えを伝え、人々を救済するために尽力しました。

💡 天理教の聖地『ぢば』は、奈良県天理市に位置し、多くの信者が訪れます。

それでは、天理教の歴史や教えについて詳しく見ていきましょう。

天理教の創始と教祖の生涯

本日は、天理教の創始者である中山みき様についてお話します。

🔖 関連記事の要約!教祖

公開日:2015/03/13

教祖

✅ 中山みき様(教祖)は、立教以来50年にわたり、「月日のやしろ」として親神様の思召を伝達し、自らも「ひながたの道」と呼ばれる実践的な道を示されました。

✅ 教祖は、貧困者への施しや、獄中での平穏な振る舞いなど、常人には理解し難い行動を通して、つとめの実行を促し、人々を陽気ぐらしへと導くことを目指していました。

✅ 教祖は、明治20年(1887年)1月26日に現身をおかくしになりましたが、ご存命のまま世界たすけの上にお働きくだされ、教えは現在も受け継がれ、多くの人々に影響を与えています。

さらに読む ⇒天理教天理教出典/画像元: https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/oshie/oyasama/

教祖の生涯は、まさに困難と奇跡の連続ですね。困難に立ち向かう姿に、強い意志と信念を感じます。

天理教は、親神天理王命による教えで、教祖中山みき様がその神のやしろとして、世界中の人間を救済するために始まりました。教祖は、親神の思召により、貧しい人々を救済するために活動を始めましたが、理解を得られず、20年近く誰にも相手にされませんでした。しかし、不思議な助けに浴する人が現れ、教祖を神様として慕う人が増えてきました。教祖は、親神の存在と救済の道を教え、それが「つとめ」と「さづけ」であり、親神の思召を書き記した「おふでさき」を遺されました。教祖は、明治8年に「ぢば」を定め、人間が宿し込まれた元の場所を明らかにし、つとめを急ぐように命じられました。しかし、教えは政府の方針と対立し、教祖は何度も警察に拘引されるなど、苦労されました。そして、明治20年に御姿を隠されました。教祖の生き様は「ひながた」と呼ばれ、天理教徒は、教祖の教えに従い、人助けに励みます。教祖は存命の理で、元の屋敷に残り、人間を助け続けていると信じられており、それが天理教信仰の重要な角目です。天理教では、教祖を偲んで十年に一度、教祖の年祭を勤め、教祖に喜んで頂くため、一人一人が人助けに励むことが大切です。

そうですね。教祖の生き様は、私たちにとって大きな学びになります。

ホンマに、教祖ってスゴイ人やなぁ。こんな大変な状況でも、人助けを続けるって、ホンマに尊敬するわ。

教祖は、すごく優しい心の持ち主だったんですね。

天理教の教えと実践

続いて、天理教の教えと実践について見ていきましょう。

🔖 関連記事の要約!おさづけの取り次ぎかた ~仮席の栞を参考に~
おさづけの取り次ぎかた ~仮席の栞を参考に~

✅ 「仮席の栞」に基づいた、天理教における「おさづけの取り次ぎ方」について解説されています。

✅ 「おさづけ」を取り次ぐ際の心得として、清潔な服装で、上座から取り次ぐこと、また、神様の御用を務めるという自覚を持つことが重要とされています。

✅ 「おさづけ」の取り次ぎ方は、まず親神様の教えを伝え、病人の住所、姓名、年齢、病名などを申し上げ、その後、「あしきはらひたすけたまへ天理王命」と三度唱えながら手を振り、病んでいる箇所を「なむたすけたまへ天理王命」と三度唱えながら撫でてさする、という手順で行います。

さらに読む ⇒すがけんの天理教のみかたすがけんの天理教のみかた出典/画像元: http://sugaken.info/osaduketoritugikarisekikarisekisiori/

天理教の教えは、まさに、助け合いと共存の精神が根底にあると感じます。

天理教の教えの中心には、陽気ぐらしという、すべての人が明るく楽しく、助け合いながら生きる理想的な世界の実現を目指しています。それは、自分だけの幸せではなく、自分も人もひとしく親神の子供であり、兄弟姉妹であることを認識し、互いに助け合うことです。この陽気ぐらしを実現するために、天理教では「おつとめ」と呼ばれる毎朝晩の神様への祈りや、病気や怪我の際に受ける「おさづけ」という個人祈祷などがあります。また、積極的に人助けをする「おたすけ」を行い、自分勝手で「ほこり」のような心遣いを慎むことを心がけています。

天理教の教えは、まさに、理想的な社会モデルと言えるでしょう。

なるほど、天理教では、みんな仲良く助け合って、楽しく生きていかなあかんねんね。

病気や怪我をした時におさづけを受けられるのは、心強いですね。

天理教の概要と主な教義

天理教の概要と主な教義について解説します。

🔖 関連記事の要約!初めて天理教にふれられる方へ
初めて天理教にふれられる方へ

✅ 天理教は、江戸時代に中山みきによって創始された宗教で、現在日本国内を中心に約1万7千の教会と200万人の信者がおり、その教えは海外80カ国に広がっています。

✅ 天理教信仰の中心は奈良県天理市の「ぢば」であり、全国の教会は「ぢば」の方角を向いて建てられています。信者は教会から「ぢば」に向かって親神様に祈り、地域社会に奉仕する活動を行っています。

✅ 天理教の教えは、親神様の願いである「陽気ぐらし」世界の実現を目指しており、それは人間が心を澄まし、仲良く助け合いながら暮らす世界です。教祖・中山みきは、親神様の真実を伝え、人間の真の幸福へと導く道を示しました。

さらに読む ⇒天理教 網走大教会天理教 網走大教会出典/画像元: https://tenrikyo-abashiri.xyz/%E5%88%9D%E3%82%81%E3%81%A6%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%E3%81%AB%E3%81%B5%E3%82%8C%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%96%B9%E3%81%B8/

天理教は、世界中に広がり、多くの信者を抱えているんですね。

天理教は、1838年に中山みきによって創始された、奈良県天理市に本部を置く一神教です。神様を「親神様」と呼び、人間を創造した存在として崇拝しています。教義の中心は、陽気ぐらしという、すべての人が明るく楽しく、助け合いながら生きる理想的な世界の実現を目指しています。主な教義として、世界観では、人間は神様によって創造されたものであり、互いに助け合い、喜びを分かち合うことが神様の願いです。死生観では、死は「出直し」であり、魂は神様の元へ戻り、再び生まれ変わると考えられています。前世の行いは「いんねん」として魂に残ります。

天理教は、日本だけでなく世界に影響を与えているんですね。

そうやなぁ、天理教って、結構な規模の宗教なんやな。

天理教の教えって、すごくシンプルで分かりやすいですね。

天理教における『ぢば』の意義

天理教の聖地『ぢば』の意義についてお話します。

🔖 関連記事の要約!天理教神殿の聖地「ぢば」参拝。天理市は日本最大最高の宗教都市
天理教神殿の聖地「ぢば」参拝。天理市は日本最大最高の宗教都市

✅ この記事は、天理教の聖地「ぢば」への訪問記です。著者は、天理教教会本部のある天理市を訪れ、神殿や周辺施設、天理高校などを見学しました。

✅ 特に、神殿「ぢば」の広大さと神聖さに圧倒され、若い女性たちが歌っていた「悪しき祓いの地歌」の美しさに心を打たれたと記しています。

✅ 天理教の教えである「陽気ぐらし」や「ぢば」の意義についても触れ、天理教の聖地への強い印象と、天理教に対する理解を深めた様子が伝わります。

さらに読む ⇒村内伸弘のブログが好き😍 - ムラゴンブログ村内伸弘のブログが好き😍 - ムラゴンブログ出典/画像元: https://murauchi.muragon.com/entry/3156.html

『ぢば』は、単なる場所ではなく、神様の存在を実感できる場所なんですね。

天理教において『ぢば』とは、神様(天理王命様)のお鎮まり下さる地点であり、人間が創造された時、いざなぎのみこと・いざなみのみことの2つの神様が「なむなむ」とお宿し込みなされた時の「みのうちよりのほんまんなか」とされています。教祖は明治8年6月29日に「ぢば定め」によって、当時の住所は゛大和の国山辺郡庄屋敷村中山五番屋敷゛といわれた屋敷の一地点を『ぢば』と明らかにされました。現在では、奈良県天理市三島町一番地の天理教教会本部境内地内になります。『ぢば』を定めることで、神様の時空的限定がなされ、神の存在を実感できるようになるとされています。神様は本来、時空の中で捉えられるものではなく、人間と同じ存在になってしまいます。しかし、神様が時空におられないと、人間は神様の存在を実感することができません。『ぢば』は場所であり、実体ではありません。中山家の屋敷内の一地点を『ぢば』と定められたのであって、屋敷内の土や石などの物体に神名がつけられたのではありません。『ぢば』には「かんろだい」が据えられますが、「かんろだい」自体がご神体や拝む対象ではなく、『ぢば』がどこにあるのかを示す目印です。神殿の建物が古くなったり狭くなったりすれば、解体や移動することもあり得ますが、『ぢば』という事実は変わりません。教祖は「わしや人間は連れて行くことはできても、中山五番屋敷はどうすることもできまいやろうがな」と仰せられたように、『ぢば』は不変不滅の場所です。物質でもなければ、単なる観念でもない、礼拝の目標として『ぢば』が定められ、人間存在の拠り所を確立したのが『ぢば定め』の意義です。「元の理」のお話によると、人間は現在のように海山天地が明らかになる以前の泥海の世界で創造されたとされています。「ぢば定め」によって、創造の事実があった現実の場が示され、人間の創造を事実として認識できるようになるとされています。

『ぢば』は、天理教にとって特別な場所なんですね。

なるほど、天理教では、『ぢば』がホンマに重要な場所やねんね。

『ぢば』って、すごく神聖な場所なんですね。

天理教の創始者中山みきと教団の現状

天理教の創始者である中山みき様と、現在の教団の現状についてお話します。

🔖 関連記事の要約!天理教の教祖はどんな方?
天理教の教祖はどんな方?

✅ 天理教の教祖である中山みき様は、現在の奈良県天理市に生まれ、幼い頃から慈悲深く、誰からも慕われる存在でした。

✅ 41歳の時に神の啓示を受け、「月日のやしろ」として、親神様の教えを人々に伝え始めました。

✅ 教祖は貧しい人々に家財を施し、迫害を受けながらも、常に「陽気ぐらし」の手本を示し、人々を導き育てました。

さらに読む ⇒天理時報オンライン - 陽気ぐらし情報をもっと身近に天理時報オンライン - 陽気ぐらし情報をもっと身近に出典/画像元: https://jiho.doyusha.jp/100825/

教祖は、まさに、人々の模範となるような生き方をされたんですね。

天理教は、江戸時代に教祖・中山みきによって創始された宗教で、日本国内を中心に約1万4千の教会があり、信者数は120万人を数えます。天理教の教えの中心は、親神・天理王命によって創造された聖地「ぢば」であり、その「ぢば」は奈良県天理市に位置しています。天理教では、人間は「陽気ぐらし」をするために創造された存在であり、人生の目的は「陽気ぐらし」にあるとされています。「陽気ぐらし」とは、互いに助け合い、喜びを分かち合う生き方であり、天理教では、日々、「陽気ぐらし」にふさわしい心になるよう努力することが求められています。聖地「ぢば」は、天理市内に位置し、天理教教会本部が建っています。天理教の信仰者は、「ぢば」の方角を向いて教会で祈り、地域社会に役立つ活動を行っています。中山みきは、1798年に大和国山辺郡三昧田村で生まれ、心優しく信心深い子供として育ちました。13歳で中山家に嫁ぎ、村役を務める家を慈悲深くきりもりしていました。天保9年、41歳の時に神の啓示を受け、世界と人間を創造した神様である親神・天理王命が入り込みました。それ以降、教祖として人々に教えを説き、自ら身をもって救済活動を行いました。特に貧しい人々への施しや、妊婦のための「をびや許し」は、多くの人の心を動かしました。教祖は「生き神様」と慕われ、多くの人が「親里・ぢば」へ帰るようになる一方、神社仏閣や官憲からの迫害干渉にも遭いました。しかし教祖は救済活動に邁進し、50年間にわたって人々に人間本来の生き方を示しました。90歳で静かに現世での姿を隠した後も、その魂は世界中の人々の救済に働き続け、天理教の礎を築きました。教祖は現在も存命であり、世界中の人々が仲良く助け合って暮らす「陽気ぐらし」世界の実現に向けて精力的に働いています。

教祖の生き様は、まさに、慈悲と愛に溢れています。

ホンマに、教祖はスゴイ人やなぁ。こんなにも多くの人を救ったんやな。

教祖は、すごく優しい心の持ち主だったんですね。

本日は、天理教について詳しくご紹介しました。

🚩 結論!

💡 天理教は、親神様の教えに基づいた宗教で、世界の人々を救済することを目的としています。

💡 教祖である中山みきは、困難な状況の中でも人々を導き、天理教の教えを広めました。

💡 天理教は、現在も世界各地に教会があり、人々に影響を与えています。