『鳥類写生図譜』の世界へ! 藤牧義夫と土岡春郊、鳥を愛した画家たちの足跡を辿る旅?幻の『鳥類写生図譜』:100種の鳥たちが描く、美と情熱の記録
都会育ちの著者を魅了した、幻の鳥類図鑑『鳥類写生図譜』。精緻な描写で知られるこの図鑑は、日本画家・土岡春郊が10年以上の歳月をかけ完成させた傑作だ。若冲に感銘を受けた著者が、そのルーツを探る中で出会った『鳥類写生図譜』。知られざる制作秘話、土岡の生涯、そして藤牧義夫との意外な繋がりが明らかに。鳥への愛と芸術への情熱が結晶した図鑑の世界へ、あなたを誘います。
土岡春郊:鳥を愛した画家の生涯
土岡春郊、鳥の絵で名を馳せた秘密は?
鳥の飼育と写生、10年の歳月。
土岡春郊は、鳥類の研究と花鳥画制作に生涯を捧げました。
東京美術学校での学び、鳥類写生図譜の刊行、晩年の活動まで、その情熱は尽きることがありませんでした。
✅ 土岡春郊は福井県出身の日本画家で、花鳥画の制作と鳥類の研究に生涯を捧げた。
✅ 東京美術学校で学び、卒業後は鳥類を飼育して写生を重ね、本格的な鳥類画集『鳥類写生図譜』を刊行した。
✅ 晩年は福井大学講師や野鳥の会の顧問を務め、没後には福井県文化協会から文化賞が贈られた。
さらに読む ⇒松原洋一・湯上がり美術談義出典/画像元: https://yuagariart.com/uag/fukui24/土岡春郊の生涯を振り返ると、鳥類への深い愛情と、それを表現する情熱が伝わってきます。
数々の功績や受賞歴は、彼の努力と才能を物語っていますね。
『鳥類写生図譜』の実質的な著者である土岡春郊(1891-1959)は、福井県出身の日本画家です。
東京美術学校日本画科で学び、卒業後、鳥類研究と花鳥画制作に生涯を捧げました。
鳥を飼育し写生を重ね、恩師や日本鳥学会会長らの推奨を受け、10年以上の歳月をかけて『鳥類写生図譜』を刊行しました。
院展への出品や、新樹会、黒潮会、鳥の会での活動を通じて「鳥の春郊」と称され、昭和6年には鳥の会主催の展覧会で名誉賞を受賞しています。
晩年は福井大学講師や野鳥の会顧問を務め、その功績を称えられ、没後、福井県文化協会より文化賞が贈られました。
土岡先生、すごい!鳥を愛する気持ちが伝わってきます。研究熱心で、鳥の会の顧問まで務めていたんですね。晩年の活動や福井県文化賞受賞など、素晴らしいですね。
土岡春郊の芸術家仲間と藤牧義夫との接点
土岡春郊の意外な一面とは?三越ポスター制作の可能性!
三越宣伝部でのポスター制作に関与か。
本章では、土岡春郊の芸術家仲間、そして藤牧義夫との接点に迫ります。
彼の作品のルーツを探ることで、さらなる発見があるかもしれません。
✅ 本記事は、版画家・藤牧義夫の作品と人となりを紹介するブログ記事である。
✅ 藤牧義夫は、1911年生まれの版画家で、21歳で新版画集団に参加し、22歳で帝展入選を果たすなど、才能を発揮したが、24歳で突然行方不明となった。
✅ 彼の作品は、東京の風景を独自の視点で表現したもので、代表作には「赤陽」や「絵巻 4巻」があるが、近年、贋作や改竄された作品が発見されており、その評価や研究は十分とは言えない現状である。
さらに読む ⇒藤牧義夫 発掘!出典/画像元: https://yfujimaki.exblog.jp/7652480/土岡春郊に関する新たな情報から、彼の芸術活動を取り巻く環境、そして藤牧義夫との繋がりが明らかになってきましたね。
回覧雑誌での活動や、佐々木倉太との関係も興味深いです。
著者は、自身の調査を通じて、土岡春郊に関する新たな情報を得ます。
ご子息からのメールで、土岡が実質的な著者であること、制作・刊行の状況を知り、さらに土岡が東京美術学校卒業後、三越百貨店の宣伝部でポスター制作に携わっていた可能性を知ります。
土岡は、田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎らと学生時代に繋がり、回覧雑誌『密室』での活動、佐々木倉太との関係もありました。
これらの情報から、土岡の芸術活動を取り巻く環境、そして藤牧義夫の模写作品のルーツとなった『鳥類写生図譜』との繋がりが見えてきます。
藤牧が土岡の図譜を写し、佐々木がそれを購入していた可能性も示唆されています。
なるほど、土岡春郊を取り巻く環境や藤牧義夫との繋がりが見えてくるんですね。関係者や作品を繋ぐ点と線、芸術家たちのネットワークは、研究を進める上で重要ですね。
『鳥類写生図譜』の未来へ
精巧な鳥類図譜、なぜ現代では再現難しい?
技術と情熱の結晶、貴重な図鑑。
『鳥類写生図譜』は、現代では再現が難しいであろう貴重な図鑑です。
江戸時代から続く鳥への関心と、芸術的価値、そして未来への可能性を探ります。
✅ 江戸時代には、大名たちが参勤交代や鷹狩を通じて鳥を入手し、図譜を編纂した。増山雪斎の『百鳥図』や牧野貞幹の『鳥類写生図』など、詳細な描写が特徴。
✅ 細川重賢は博物学への関心が高く、『鳥類図譜』を制作。また、道頓堀の孔雀鸚鵡の見世物や、孔雀茶屋のような鳥を見ながら飲食できる施設も存在した。
✅ 現在も、これらの図譜の一部は電子展示会で公開されており、当時の人々の鳥への関心や、鳥を鑑賞する文化を垣間見ることができる。
さらに読む ⇒国立国会図書館―National Diet Library出典/画像元: https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/37/2.html『鳥類写生図譜』の美しさは、現代にも通用しますね。
当時の情熱が込められた図鑑は、未来へと語り継がれるべき貴重な資料になるでしょう。
『鳥類写生図譜』は、その精巧さから現代では再現が難しいであろう貴重な図鑑です。
著者は、第4集の「きんけい錦鶏」の図版の写真を紹介し、その美しい姿を伝えています。
図譜の刊行経緯に関する詳細なデータが記されており、鳥類研究、美術史研究にとって貴重な資料となるでしょう。
この図譜は、鳥を愛し、芸術に情熱を注いだ人々の協力によって生まれました。
その情熱と労苦は、現代の私たちに、自然への畏敬の念と芸術への探求心を呼び起こします。
いやー、この図鑑、ほんまにすごいわ! 現代でも再現が難しいって、それだけ手間ひまかけて作られたってことやな。鳥への愛情はもちろん、技術の高さにも脱帽やわ! 芸術は永遠やね!
今回は、鳥類図譜を軸に、芸術家たちの情熱と、その作品が持つ価値を再確認できる、素晴らしい記事でした。
💡 藤牧義夫の模写から始まった鳥類図譜との出会いと、土岡春郊という画家との出会い。
💡 『鳥類写生図譜』の制作背景、そして完成までの苦労と、その価値を再認識しました。
💡 鳥を愛した画家たちの情熱と、その作品が現代に与える影響を考察しました。